うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

本が来たと、小さな送別会と、インフルエンザと、【暴力は権力を破壊することはできるが、権力を創造することはまったくできない。】

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 今回、注文した一連の本の最後のが来ました。読んでおきたかった本なので、他の本ともに、非常に楽しみです!現在の本は半分を超しました!皆藤先生の言わんとされていることが、より深く理解できそうです。(現在読ませて頂いている本ですが.....)

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 今日は、うたたね発発足以来、送迎を中心に休むことなく頑張って頂いていた職員さんの送別会でした!エディプスをきちんと超える事が出来ていない方々には、本当に父親代わりになって支援もして下さってくれていたので、体調不良で残念でした。

 若い時分は、仕事で海外に数多く行っておられた様で、外国で西条八十とか、美空ひばりさんとかとお会いされていたようで、沢山の思い出話をお聞きすることができ、逆に励まされました!本当にありがとうございます!お疲れ様でした!

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 今日は夜勤ですが、早朝からばたばたとしていて、利用者さんの通院にも行きましたが、インフルエンザの患者さんがもう出ているとのことでした。今年は例年よりも早いので、インフルエンザの予防接種に順番に行っています。

 

 下記は、昨日の続きでで、中動態の世界からです。現在読ませて頂いている、クラインマン、江口先生、皆藤先生の本に、アート(テクニー)という言葉が良く出て来ていますが、創造ということが、アートなんだなと思っています。

 下記のアレントは、非常にはっきりしていますね!
 

 権力と暴力は同居できるか 

 ~フーコーの理論構成によれば、暴力は権力によって利用可能だということになる。対し、アレントの理論構成では、暴力は権力を破壊するのみで、権力が暴力を利用することはありえない。アレントははっきりと次のように述べている。


 要約しよう。政治的にいうとすれば、権力と暴力は同一ではないというのでは不十分である。権力と暴力は対立する。

 一方が絶対的に支配するところでは、他方は不在である。

  暴力は、権力が危うくなると現れてくるが、暴力をなすがままにしておくと最後には権力を消し去ってしまう。ということはつまり、暴力に対立するのは非暴力であると考えるのは正しくないということである。

 非暴力的権力というのは、実際のところ、言葉の重複である。暴力は権力を破壊することはできるが、権力を創造することはまったくできない。