うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

年末チャリティーと、あいちアールブリュットの搬入と、【そして実際、このような不安に何度も取り組むことが自分の分析を深めるのに役立つ。】



早朝に、年末チャリティーの搬入を済ませました。
沢山のご協力があり、今年もバザー物品は色んな物が沢山あります!

 絵も少しずつ飾られていました。




 チャリティーの搬入が済んだら、蒲郡の平野屋さんに、あいちアールブリュットの作品を搬入・展示してきました!

 早めに着き、みなさんまだ来られていなかったので、広い旅館の中を見せて頂きました。
要所要所に花が活けて有り、こちらの間の水仙が気に入りました。
 展示をしていたら、花を活けた方が通りすがりに声を掛けてくれ、ご自身の父親が画家だった話や、戦後は絵描きで飯が食えなかったので、映画のポスターを描いていたと話してくれました。ツルウメモドキ山茶花の投げ入れも、良かったです。


 本は、チャリティーの搬入が済んで、親分の早番が終わるまでの少しの間と、夕方の学齢児さんのバスを待つ間に読みました。
蒲郡から戻ったら直ぐに渥美へ入浴介助に向かいました。
 ちょっとハードな一日だったので(笑)、早目に寝ます(笑)




〜子どもの分析家の内的ストレスについての私のコメントは、ギッテルソンの論文「精神分析状況における分析家の情緒的立場」(1949)からの引用でもっともうまく要約されよう。フロイトの転移のもともとの定義を引用し、続けて彼は「もし転移が、分析的解釈を必要としている幼児期の関係性の真に非論理的な再演となるものであるのなら、それにみあった妥当性を与えるようなものは何も今の現実に介在してはならない。これらは今もなお古典的精神分析技法の手引きとなる基本原則である」と述べている。この引用は、大人の分析に述べたものである。クラインは子どもとの作業で同じ古典的精神分析技法の基本原則によって導かれた。彼女は、これをおこなうために子どもの分析家が外的にも自分の中にも分析的セッティングを提供し、子どもが非論理的な子どもっぽい幼児期の関係を再体験できるようにしなければならないことを示した。私は、クラインがそのプレイ・テクニックで発展させた外的セッティングを受け入れる方が、子どもの患者との作業で基本的な分析態度を遵守する際におこるストレスを受け入れ耐えることよりもやさしいことを示した。 このように子どもの分析トレーニーは大きな不安に晒される。そのため、自分も分析を受けている間にトレーニングを受けることが重要である。そして実際、このような不安に何度も取り組むことが自分の分析を深めるのに役立つ。私は、子どもの分析の方が無意識的空想の実在について、大人との作業よりも大きな確信をトレーニーにもたらすことを知った。これが子どもの遊びや自発的なコミュニケーションの中に具体的に表されるのを見たり、即座に解釈の後に不安が軽くなる。その直接性や不安の質の変化をみること自体が、多くの子どもの分析家にとって驚きや楽しみの尽きない源となる。 最後になるが、この論文のねらいは子どもの分析がはなはだしく軽視されていることに注意を喚起することにある。私はその発展が遅い原因を2つ選び出した。お金や時間の問題と結びついている外的ストレス、それは十分なトレーニングが得られないと絶えず悪化する。それから、子どもの分析の性質上欠くことのできない多様な内的ストレスである。私はまた、子どもを分析することでしか得られない満足を指摘し、この仕事かまさらに発展することの重要性を精神分析的理解一般にとっての価値という観点とコミュニティへの貢献という観点の双方から強調した。