うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

図録と、【そのため患者が自分の問題を私たちにコミュニケ−トする方法が、しばしば彼らの個々の連想や言葉を越えており、逆転移という手段によってしか測れない場合が多いことを論じた。】


先日、年末チャリティー用の額を、大家さんにお願いしに行った時に、親分が貰ってきた図録です。
大家さんのお兄さんの作品集で、現物も何度か見せて頂いたことがあります。大家さんも、自分の(おっちゃんの)目指しているものと似ているのではないのか?と言って下さったようです。
 理事会で、創作活動の時間を作って欲しいとの話が出たようですが、週に一日休みを増やすだけでは解決しない問題です(笑)
大谷選手みたいに、本当に凄い方は別として、自分には二刀流は無理なので、当面は諦めます(笑)


 夜勤明け、ほっとしたくて、うたたね横のファミマで、コーヒーを飲みながら本を読みましたが、アップは昨日読んだ箇所です。



私たちは、患者が自分自身の連続性と個体性の感覚を作り上げ、いくらか分離をなしとげ、そうやってより早期の歪曲された過去の感覚から自由になるのを助けるために、転移を過去につなぐ必要があると思う。これらの論点について、理論と技法で多くの問題が生じる。たとえば、もし患者が幼児期に良い性質を持つ対象を一度も経験したことがないなら、これを転移のなかで発見できるだろうか。私にはこれは疑問である。なぜなら、もし患者が幼児期に少しでも愛情や信頼をおけるような対象にまったく出会ったことがないなら、私たちのところに分析を受けにやって来ないと思うからである。そのような人は精神病の道を辿るだけだろう。しかし、私たちにできることは、転移内の動きと葛藤を明らかにすることによって、強く防衛されていたり、束の間しか体験されなかった感情を1つの関係の中で再生させることであり、転移のなかでそれが確固としたルーツを得ることを可能にすることである。私たちはまったくの新しい対象ではない。むしろ、とても強化された対象だと思う。というのは、より強くより深い感情が転移のなかでワーク・スルーされるからである。〜


患者が抑うつ態勢に近い場合はこれは違って、解釈や転移自体がもっと現実的で空想による意味付けが少なくなる。分割や投影同一化といったもっと原始的な防衛で作動している患者は、私たちの解釈を違ったふうに“聞き”、違ったふうに“使う”。もし私たちが転移状況、患者の自我状態、そして患者の知覚が正しいかどうかを明らかにするとしたら、どのように彼らが“使う”かまたは“聞く”かということやこの2つの概念の違いを識別する必要がある。ときとして患者は私たちの解釈をもっと被害的に、たとえば批判あるいは攻撃として聞く。



要約
 この論文で、私は今日私たちが転移の概念をどのように使っているかを論じてみた。私は転移を、絶えず動きや変化のある生きている関係として見ることの重要性を強調した。患者の早期からのそして普段の機能のしかた、さらには空想、衝動、防衛、葛藤に基づく心的構造体で重要なものがすべて、転移のなかであるやり方で実演されるその様子を示した。さらに、分析家あるいは分析家の言うことへの反応すべてが、分析家自身の意図や解釈に与える意味ではなく、患者自身の心的構成make−upによってなされるようである。そのため患者が自分の問題を私たちにコミュニケ−トする方法が、しばしば彼らの個々の連想や言葉を越えており、逆転移という手段によってしか測れない場合が多いことを論じた。これらが過去から転移される全体状況なる題目のもとに、じっくり考えられるべきだと思われる論点のいくつかである。