昨日、頼んでいた本『原初なる一を求めて』(マーガッレトI,リトル著・神田橋條治・溝口純二訳)が来ました。
次は、『精神病水準の不安と庇護』(マーガッレトI,リトル著・神田橋條治訳)が欲しいと思っています。
この二冊は、他の本と比べて安価なので、今のうちに購入したほうが良いように勝手に思っています。他に欲しい本は、びっくりするくらい高価です.....。
訳者あとがきを読ませて頂きましたが、神田橋先生の凄いのに腰が低い文章は、思わず自分が恥ずかしくなりました.....。
本当に凄い方は、本当に腰が低いですね。えらそうな奴ほど大したことない(笑)
今日は、日勤の予定でしたが、親分がアールブリュットの会議が岡崎であると言うので、志願して夜勤を代わりました。
金曜日の日勤は、沢山歩けるので本当は変わりたくないのですが....。
午前中は、体を追い込みにジムに行き、戻ってから、来年度のことを色々やっていました。
いろんな事が、難しくなっていきますが、ピンチこそチャンスだと思って頑張ります。
本は、ジムが開くまで、ファミマで読みましたが、いつもイートインは、おっちゃん専用の(笑)勉強スペースでしたが、今日は先客が2名、勉強をされていました。
家や職場から離れないと、中々本に集中できません(笑)ついつい、何かをしてしまうのでいけませんね。
〜転移で起こっていることは患者の内界で患者が理解できず、起こっていることの意味がわからない、ということがしだいに私たちにわかってきた。彼女(患者)は、子どもに波長を合わせることができず、そして私たちが思うに、子どもの気持ちの意味も理解できないが私たちセミナーの皆がしているように、あたかもできるかのように振る舞う母親を持つとどんな感じがするかを実地に示していた。それで患者は防衛を発展させ、その中で一見筋の通った考えを論じ唱えた。その考えは実際には誰も満足させないが、人に理解できないとは言わせず、彼女にすがりつくものを与えた。もし分析家がこのような状況で個々の連想の意味を詳しく解釈しようと実際にもがけば、むしろ理解できないものの意味を偽って理解し患者自身の防衛システムを実演していることになる。理解できない世界に住む患者の体験に触れ合おうとすることは分析家にとってもひどく混乱させられる体験となりうる。幼児/患者を理解できない母親の役を実演するよりも、“素材”を理解していると思う方が心地よい。〜
〜もし私たちが言語化される部分だけと分析の作業をするなら、転移のなかで行動化されている対象関係――たとえばここでは、理解しない母親と理解されえないと感じる幼児の関係であり、彼女の人格の基盤をなしているのがこれである――を本当に考慮に入れていることにはならない。もし私たちがこれに踏み込まなければ、ある程度の理解や素材の中で表現な変化は達成しても、治療後も持続するような本当の心的変化は起こりえないと思う。このような症例で起こったことは、患者のごく早期の関係で何かがひどくおかしくなってしまったのだが、この上に一見正常の、あるいは偽−正常の性格構造が築き上げられた結果、患者は実際にブレイク・ダウンをきたすことなく見たところ生活の多くの領域で、ほぼうまく機能しながら大人になることができたということではないかと思う。個々の連想だけしか取り扱わないような解釈は、人格のより大人の部分だけにしか触れないだろう。一方、本当に理解されるのを必要としている部分は、分析家にもたらされる圧力を通してコミュニケ−トされる。私たちはここで、患者の早期の対象関係、防衛機構、葛藤をすべてコミュニケ−トする方法といったもののかなりの性質が転移のなかで実演されているのを感じることができる。〜
〜私は、いつも一生懸命分析作業をやらねばならないにもかかわらず、まるでこの患者のセッションを好んでいてそれがある程度満足のいくものであるかのように、漠然と心地よく感じているのに気がついた。逆転移と素材を再考し始めてみると、私のある程度の満足体験は、私が何を解釈しても自分はともかく大丈夫だという患者の内的確信に該当していることがわかった。分析作業が彼のどんな障害を示そうともそれが苦悩をもたらす性質のものでも――彼にはある特別な場所があり、私の解釈はいわば「単なる解釈に過ぎない」という内的確信があった。彼の場所は保証されており、変わる必要などまったくなかった。そのため分析家は、いろいろと探究し説明しながら、うわべだけ正しく無用ではない解釈を延々と続けることができただろう。しかし、もし深い無意識の確信が調べないままにされるなら、治療のすべてが偽りとなっただろう。というのは、それには、私―分析家が特別な愛着や愛情を抱いていて自分のために彼を放したがらないという考えが含まれているからであり、これが心地よい逆転移体験の基礎となったものだと私は思う。〜