うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

『乳児の対人世界』と、ギターの弦と、【赤ちゃんは、目に見える母親の行動を通してでなければ、母親の精神生活の中身を把握することはできない。】


 今日は、休みでしたが、送迎者が時間を間違えたようで、現場から呼び出され、朝の2便目の送迎に行きました。
遅れる事なく行けたので、皆さんに迷惑を掛ける事がなく、良かったです。
 管理者が、早めに出勤してくれていたので、早めに気づいてくれたので助かりました。
個人的に、用事があったので、少し焦りましたが.......。


 用事が終わってから、やっとアコースティックギターの弦を買いました。
悩んだ末に、費用対効果?(笑)でもありますが、エレキと同じ、アニーボールにしました。
 なぜか?分かりませんが、自分の弾き方には合っているように感じます。
来週の木曜日に 、アコースティックギターを使うので、月曜日か火曜日に交換しようと思っています。今のエリクサーはさすが!2ヶ月半そこそこの状態でした(まめに拭いていないし、時間の長短はありますがほぼ毎日触っていてです!)。
 名古屋に行った時に買っていた、廉価版のアニーボールでも良かったのですが、扱いを止めたと店員さんが言っていたので、少しがっかりです。練習時はそれで十分ですが!








 本は、少しだけ読む事ができ、スターンの2冊目『乳児の対人世界』に入りました。まだ復習中なので、集中して読めませんが、時間がある時は2冊目を読んで、時間がない時は、1冊目のアンダーラインを引いた箇所だけ、読み返します。





 下記は、現場でも大事な事のように思いました(こればっかり行ってますがw)。
 『赤ちゃんは、目に見える母親の行動を通してでなければ、母親の精神生活の中身を把握することはできない。』

 下記は、構造化にも繋がるなと思いました。
 『母親は幻想と表象はまず最初に、乳幼児にとって知覚や視覚へが可能で、直接的な影響力をもち、潜在的に意味のある形を取らなければならない。言い換えれば、最初に相互作用行動に変換されなければならないのである。』




 精神分析的伝統にそって治療を行っている治療者の多くが、上記の点をあいまいにしてきた。臨床的なモーメントが瞬時に生じるために、そして表象世界に目を向けているために、治療者は母親の表象や幻想が赤ちゃんに魔術のように影響を及ぼすものではないということを忘れているのかもしれない。赤ちゃんは、目に見える母親の行動を通してでなければ、母親の精神生活の中身を把握することはできない。この事実に関して、いまだに非常に多くのごまかしがある。たとえば、母親の幻想が乳幼児に与える影響についてのWilfred Bionの論文(1963,1967)は非常に繊細であり、臨床上大いに価値があるけれども、この影響のメカニズムについての彼の説明は実にあいまいなままであるーーまるで母親と乳幼児の幻想がお互いに意思伝達し、影響しあうことを可能にする、霊気のような媒体があるかのようである。目に見える行動上の相互作用は省略されてしまっているのである。臨床実践に重要な影響力をもつFrancoise Doltoもまた、母親の精神生活が目に見える行動に頼ることなく、ほとんど直接に赤ちゃんに影響する道筋を提唱している。つまり、赤ちゃんは生まれたときから、正確に言われれば、言われたことの内容を理解できるとしている(1971)。
母親は幻想と表象はまず最初に、乳幼児にとって知覚や視覚へが可能で、直接的な影響力をもち、潜在的に意味のある形を取らなければならない。言い換えれば、最初に相互作用行動に変換されなければならないのである。したがって、母親の幻想は、臨床家が事例の鍵となる心理的問題を構築していくときの基本的出発点ではあるが、乳幼児にとってはそうではない、と言うべきなのだ。これは無用の区別ではない。調査研究全体の科学的根拠はこうした区別に基づいている。〜