うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

張り忘れと、誰かに似てる(笑)と、没になった投げ入れと、躁的防衛(ちょっと長いですが........)


 先日のお薄を頂いたときの写真で、一番いい写真を貼り忘れたのに気付きました(笑)
 結構なお点前でした!のゆうちゃんです。
本当に大名みたいですね!いい顔しています。


 Kさんが作った作品を、世話人さんがウイッグに見立てて、顔を描いていました(笑)誰かに似ていると思ったら、欽ちゃんのお母さんでした!ローカルな話題でした。



 年末に色々試した物が沢山ありましたが、どれももう一つだったので没にしましたが(笑)削除したはずのものが残っていたので、アップしてみました。ふたつとも枯れるまで飾っていました。


 ちょっと長いですが(要約できませんでした......)自分的に大事なことでしたので、アップさせて頂きました。
 本当は、本を読んで頂きたいのですが、クラインはフロイトをしっかり読んでいないと、ハードルが高いですね。
 ウィニコットからクライン、フロイトと逆に読むと入って行きやすい気がします。雪舟から入ると難しいので、まずは雪村から入る様なものでしょうか? 洋画もまずは印象派から?みたいな感じでしょうか?


7,躁的防衛

 乳児は、自分が母とその乳房を完全にもはやとりかえしがつかぬほどに破壊してしまったと感じるとき、抑うつあるいは絶望にすら繰り返し直面させられることになるが、このような体験は、とても耐えがたいものである。そして自我は、この状態に対して、用いることができるあらゆる防衛を使用する。これらの諸防衛は、二つに大別される。すなわち、償いreparationと躁的防衛manic defencesである。抑うつ的な不安に対して、償いをしたいという願望が動員されて、それをうまく処理することができる場合には、自我はいっそう成長するようになる。
 といっても、躁的防衛が出現したからといって、それだけでひとつの病的現象であるということを意味するものではない。それらは、発達に対して、重要なそして積極的な役割を演ずるものである。償いによって抑うつを解決するということは、ゆっくりとすすむひとつの過程であり、自我が十分な力を獲得して、償いをする能力に自信を持てるようになるまでには、長い間かかる苦痛を、躁的防衛によってしかのりこえることができないことがしばしばあり、躁的防衛は自我を完全な絶望から保護するものである。苦痛や脅威が軽くなっていくと、だんだんに躁的防衛が償いに道をゆずることができるようになる。しかしながら、躁的防衛が極端に強う場合には、悪循環がはじまって固着点が形成され、それが、将来の発達を障害することになる。
 抑うつ態勢における躁的防衛をかたちづくる要素としては、妄想的―分裂的態勢ですでに存在していた諸機制、すなわち、分裂、理想化、投影、性同一視、否認等が含まれる。これらの防衛諸機制が発達後期になって用いられる場合にみられる特徴としては、自我が統合された状態にあるということとあいまって、これらの諸防衛機制が高度に組織化されているということ、およびそれらがとくに抑うつ的不安と罪悪感を体験することに対して向けられているということである。この体験が生じるということは、自我が現実に対して新たな関係をもつことができるようになったという事実に依拠している。乳児は自分が母親に依存しているのだということ、そして彼女を大切なものだと感じていることがわかるようになる。しかし、乳児はこの依存性と一緒に両価性をもっていることもわかるようになる。そして自分の外的・内的な対象との関係において喪失の怖れ、喪、憧憬、罪悪感などのいろいろな感情を強く体験するのである。
 このような体験全体に対して躁的防衛体制が組織される。抑うつ的態勢は、自分が対象に依存しているということを体験することと密接に結びついたものである。そのため、躁的防衛は、いかなるものにせよ依存性を感ずるということに対して向けられて、それらの依存感情が感じられないようにされたり、否認されたり、あるいは、反対のものに転化されたりする。抑うつ的な不安は、両価性と密接に結びついたものであるために、乳児は、対象と自我の分裂を再現することによって、両価性から自分を守ろうとする。〜

 〜躁的防衛は、治療技術的に非常な重要性をもつものである。なぜならば、本来躁的防衛は、心的現実 psychic realityを体験することに対して向けられるものであるからである。すなわち、精神分析の過程が心的現実を洞察し、それを完全に体験するということを目ざすものであるかぎり、躁的防衛は精神分析過程のもつ目標全体に対して向けられることになるからである。万能感、とくに対象の万能感的な支配omnipotent control of the objectの再現、強化によって、心的現実の否認がそのまま維持されてしまう場合がある。
 対象との躁的な関係のあり方は三つの組になった感情によって特徴づけられる(すなわち、支配感control,征服感triumph,および軽蔑contemptである。これらの感情は、対象を価値あるものと感じ、それに依存していると感じ、それを失うことを怖れ、罪悪感を感じるという抑うつ的な諸感情と直接関係したものであり、それらの抑うつ的諸感情に対して防衛的に働くものである。支配は、依存を否認しそれを認めないままで、なおかつ対象に依存の欲求を満たさせようと強いるためのひとつの方法である。なぜならば、完全に支配してしまった対象というものは、またある点ではそれに依存もし得るものであるからである。征服感は、価値を認め大切に思うという抑うつ的感情を否認することのひとつである。それは万能感と密接に結びついている。そしてそれは、重要な側面をふたつもっている。そのひとつは、抑うつ的態勢で対象に向けられた一時的な攻撃と関連しており、またこの対象を打ち負かした際に体験した征服感とも関連している。それは、とくにその攻撃が羨望によって強く規定されている場合にはなおさらである。第2には征服の感情は、また躁的防衛の一部分として増強する。なぜかというと、征服の感情は対象に対する憧れの情、切望の念、失いたくないという気持ちなどの抑うつ的な諸感情が出てこないように、とじこめておくものだからである。対象に対する軽蔑もまた、抑うつ的態勢において大変重要な意味を持つものである対象を大切に思う気持ちを、直接に否認することであり、対象喪失と罪悪感を体験することに対するひとつの防衛として働くものである。軽蔑の的となる対象は、罪悪感を感ずるに値しない対象であり、そういった対象について体験された軽蔑は、さらにその対象に攻撃を加えてもよいのだという理由づけになる。〜(クライン入門より)