うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

スルクスクリーン・ワーク・ショップの原図と、【そして、その種の不安に捕らえれている人には、語られる言葉の、音声が大切でありは意味は大切ではないのです。】

 CBCさんから、シルクスクリーンの原画が30枚送られてきました!
2〜3日後にやればいいやと思っていましたが、よくよく考えたら、明日から東京でした.......。
 今からと、27日の夜しかないので(笑)、今からやらせて頂きます!


 本は、夜勤明け直ぐに、豊橋の病院に行き、渥美線の中で読みました。無意識に選んだ本は、どれも今の自分に必要な事柄が、沢山書かれていて、本当にラッキーだと思っています。ただ単に、今までが、勉強不足だっただけかも知れませんが(笑)。
駅から自宅まで歩いて来ましたが、本当に暑いですね!


 ささっと夕食を、どん兵衛で済ませ(笑)、スルクスクリーンに、取り掛かります。





 「全面依存の時期」に彼が受けたケアは、その時の彼のニーズ、にぴったりのものでしたし、彼を次の時期へと進展させるようなものでした。次の時期で、彼は、青年期の諸困難をもう一度生き、その体験を、創造へ活かしたわけです。彼の転移は、病院へ向けられ、病院の「権威」に向けられ、そうした状況で、葛藤と喪失とをめぐって通常ありふれている程度のもの、となりました。子ども時代をもう一度生きることは、退行の様相を呈しました。
 青年期に種々の障害が起こるのは、大抵の人がそうですし、多くは、いずれ解決されていくものです。けど、その個人の内部での、あるいは、環境との関わりの中での、喪失あるいはがっかりが、不安を引き起こした場合(精神神経症)には、Gravin Maxwellが描写しているような退行ができるようにするためには、何らかの、精神医学的援助が必要となりましょう。「標準的」な精神分析、つまり、言語を用いた解釈という技術、を使うのが適応となるのは、このような場合です。 ところが、多くの人々は、「狂気」とか「精神の病」とか呼ばれる穴ぼこ、を持っているのです。そうした穴ぼこは、その人がパーソナリティの、広い分野だったり狭い分野だったりの範囲に、広がることがあるのです。そして、大小さまざまな程度の障害、を引き起こすのです、人生に、仕事や余暇に、そして人間関係に。 そうした穴ぼこは、精神神経症よりも、もっと早期の諸不安、に由来するのです。生存とアイデンティティにかかわる不安です(Freud 1917)。そして、その種の不安に捕らえれている人には、語られる言葉の、音声が大切であり、意味は大切ではないのです。ですから、言葉での解釈は、ほとんど無用でありました。この種の不安を処理するための、別の手段を見つけねばならないのです。
 わたくしと言えば、他の人々と同様、明らかに「正常」でした。義務教育からカレッジ、そして医学部を出て、一般医として働き、精神分析家としての訓練に受け入れられ、資格を得ました。わたくしは、自分が分析をいる間も、正規の休暇とあの3回のうつ病の期間以外は、ずーっと働いていました。しかし、わたくしは、途方もない不安に悩んでおり、それは、隠しておかねばならないものでした。まあ、いろんな点で、ことに対人関係の領域で、わたくしは、伸びやかではありませんでした。なぜなら、自己への信頼つまり、自分自身のアイデンティティの感じ、をほとんど持っていなかったからです。通常の精神分析は不成功で、わたくしは、深い退行を必要としました。全面依存の水準への退行です。そこからようやく、遅まきながらも、成長が可能となり、もっとリアルで、バランスのとれた、成人になれたのでした。