うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

暑いですね!と、【そういう点で、わたしの幼児期と、これほどかけ離れた環境もないでしょう。】

 本当に、毎日暑いですね.........。
朝のひーひー王子との散歩だけでも、多量の汗が出てシャワーを浴びました。
 ひーひー王子も、田んぼに突入して、水を得ていました。農薬大丈夫かな?と思いながら、もう10年もこの光景を目にしています。




 今日は、夜勤なので、午前中に事務仕事を終え、昼からジムで体を真剣に追い込みました(笑)。
1月の末の、あるお宅の介入から、中々ジムに行けなかったのですが、時間を見つけて、又再開しています。
体も、ギターもやり続けていないと、簡単に動かなくなりますので、短時間でも毎日続けたいものです。ギターは、手軽に弾けるので、自宅にいたら必ず触っています。
 本も、しばらく読まないと、読む気が失せるので、こちらも持ち歩き、休憩時や、待ち時間に開くようにしています。
今日も、早番の親分を送ったついでに、ファミマで少しだけ読みました。






 下記のリトル先生の文章を読んでいたら、ふと、利休の言葉を思い出しました。
 「利休は『茶の湯とは、ただ湯をわかし茶をたてて、飲むばかりなることと知るべし』と述べたと伝えられています。シンプルこそ最上だという思想です。



 大人になっても、幼少期の解決できていないものを解決できるのだと、読み解きましたが、それは仕事だけではなく、自分に対してもできれば、本当に助かりますね。

 丸田先生の本に詳しく出ていますが、日本人は甘え・甘やかすというのと、その人のことを真剣に考えての行いとを、分けられないままでいるようにも思いました。身内だと余計にですね。お母さんの足腰が悪いのに、子どもの面倒を見てほしいとか、灯油を買わせていたり、見ているだけで、聞いているだけで、胸が痛くなりますね.......。まあ、それを断らないほうにも問題があるとは思いますが、それも、間主観的な見方でないと、甘えているほうだけが、悪くなってしまいますね.....。今は、そちらのほうの本を読んでいるので、そちらよりの考えになっています(笑)

 「依存的退行」が必要な時には、思いやりが最優先されますが、改善されてきたら、少しずつ離れていく準備をしていかないといけません。これが、親だけでなく、施設の職員にもできないことの一つですね。そんなに自分の存在が欲しいのでしょうか?
 余程、パースペクティブに変化が起こらないと無理なのかも知れませんね......。

 pray(遊び)も、日本では、中々認められませんが、自分の好きなことがあれば、重い障害があっても、こちらにも、底に入っていける糸口が見えているようなものです。職員も、本当に好きなことがなければ、身内のことばかりしか目に行かなかったり、他人のことばかり気にしたり、言ったりしてしまうのかもしれませんね......。


  D.W.とのセッションでは、幼児を養育するさいの「ごほうび」があったのでした。彼はいつも、自分でドアを開けて、わたしをむかえてくれ、セッションは毎回、コーヒーとビスケットで終わるのでした。彼は、わたしが温まって寛げるように、気を配ってくれ、膝かけなどを用意してくれていました。ところがこの病室には、もっと完璧な、「依存状態への退行」があったのです。D.W.がくれたもの、の延長がありました。そして、彼は、いつも病院と連絡を保っててくれ、いま彼が何処にいるのかを分かるように、葉書をくれていました。 病院の介護は完璧で、干渉は最小限でした。あらゆるものが提供されて、指示は、まったくありませんでした。わたしは、眠ったり、読書したり、書いたり、絵を描いたり、時には部屋の壁に描いたり、つまりplayで過ごしました。庭を徘徊したり、道路をうろついたりしましたので雨が降りだすと、病棟の雑役夫が、傘とレインコートを持って、迎えにきてくれました。足にまめをこさえると、シスターは手当てをしてくれてはいうのでしたあ、「電話して、迎えの車を呼ぶのよ」と。 もちろん、わたしには、苦しみや不安が続いてはいたのでしょうが、この場は在り続け、わたしをholdし、世話し、安らげ、そして何よりも、かきみだされないようにしてくれていました(そういう点で、わたしの幼児期と、これほどかけ離れた環境もないでしょう)。