うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【[空想の中で子どもは自由でなければなりませんが、行動で自由であってはいけません。それは教育が教えるべき重大な課題で、つまり行動の限界が始まる場所のことです。]】





 今日の日中も、賑やかでした!
おっちゃん組は、先週と同じくドンキのフードコート。向かう車中で、何が食べたいか?一人ずつ聞きましたが、到着すると、マックの方へ(笑)結局、考えるのが面倒臭くなるのでしょうか?マックでした(笑)。おっちゃん的には、安上がりなので助かりますが!
志都呂のイオンに行くと、皆さんマックには行かないのに、何故でしょうか?不思議です。








 昼食から戻り、散歩に行きたい!って。たくちゃんが言ったので、皆さんに聞くと、暑いので.....。との事で、たくちゃんと二人で、滝頭不動まで登りました。結構涼しかったので、皆さんを誘えば良かったですね。





 たくちゃんは、何度も何度もお参りしていました。何をお願いしたの?って聞きましたが、内緒!とのこと。聞いていたら、お風呂に入ったとか(笑)、ギターで弾き語りしている時の、フレーズのように思えましたが(笑)、内緒なので、深くは追究しませんでした。
 戻って直ぐにお風呂に入りました!






 本は、早めに出てファミマで読みました。


 〜クライン女史には、完全な空想の自由は全人生にとって比類ない安らぎであろうとしか返答できません。もし子どもたちにこの自由を与えてやったら、彼らは自閉的活動から共同社会での生活への移行が要求する変化を楽に感じるでしょう。もちろん両親も自分たち自身が同様の空想を持っていることを認めねばなりません。だからといって空想と取り返しのつかない行為の違いも教えるという課題から親を解放するわけではありません。子どもは自分を万能と思い込んでもかまいません。もちろん子どもはその状況を利用しようとしますから、皆さんが自らの権威を使わないといけない瞬間も訪れるでしょう。(というのも精神分析が禁じるのは根拠のない権威だけですから。) 幼い甥とのある出来事を思い出します。精神分析家はそうあるべしと私が考えるようなとても穏やかな態度で彼を扱いました。彼はこれを利用して私を閉口させはじめました。しまいには棒でたたきはじめました。精神分析は私に、永遠にたたき続けさせなさいとは教えませんでしたので、手足を動かせないように腕にしっかりつかまえて言いました。「さあ、できるなら叩きなさい」。彼は試みましたがそうすることができず、私をののしり、大嫌いだと言いました。「よしよし、その調子。何を感じても何を言ってもかまわない。けれど叩くのはいけない」と私は答えました。ついに彼は、私の力の方が強く、対等なのは空想の中でしかないことに気づき、そうして私たちは仲の良い友達となりました。[空想の中で子どもは自由でなければなりませんが、行動で自由であってはいけません。それは教育が教えるべき重大な課題で、つまり行動の限界が始まる場所のことです。]自制心に向けたこのような教化はもちろん抑圧とは関係なく、決して害ではありません。[困難は、子どもがその結果、物事をしたくなくなり始めたときに起こります。] 子どもたちに象徴をどのように翻訳すべきかというご質問に関して言えば、彼らが私たちからというより、一般に私たちが子どもたちから学ぶべきです。象徴は子どもの言葉であり、それをどのように使うべきかを教えてはいけません。[彼らが感じなければならないのは、すぐに受け入れられたときに、彼ら自身が持っている自分についての理解を他の人も持っているということです。] 今日皆様にお話できるのはこれですべてと思います。この議論がさらなる研究を促すことを願っています。フロイト教授についての簡単なお話で閉じたいと思います。フロイト教授は、誰かが反論をもってやってくると、議論に入るかわりにこう答えます。「すばらしい、すばらしい。じゃあそれについて論文を書きなさい。私とその主題を論じてあなたの興味を浪費しないでください。」これが皆さんへのお別れの言葉です。もし皆さんが観察をし、家族の子どもへの適応について見解が得られましたら、それについて論文を書いてください!]