うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

あいちアールブリュットと【もし幼児が手を差しだして、母親の手あるいは胸や顔に触れるなら、幼児は最終的に発見するのです。経験を何回も繰り返すことで、存在や自然や、そして環境の一部の活動や、自分と環境との関係、についての何かをです。】







 今日は、親分のお伴で、豊田市蒲郡市の会場を3か所回って来ました。
どちらも、素敵な作品がありましたが、一日中見ていると、さすがにお腹いっぱいになりました.....。
 親分は、まだまだ大丈夫そうだったので、本当に好きなんだなと思いました。




 今日は、本を読めず、昨日読んだ箇所のアップですが、リトル先生の言う、原初的な一と言うのを、言葉で表せばこうなるのかな?と思わせる箇所でした。
短いですが、核心をついていると思われます。

もし幼児が手を差しだして、母親の手あるいは胸や顔に触れるなら、幼児は最終的に発見するのです。経験を何回も繰り返すことで、存在や自然や、そして環境の一部の活動や、自分と環境との関係、についての何かをです。幼児は知るようになるのです、自分には手があること、それが動くこと、そして何かが生じること、をです。幼児が、ベビーべったりの硬い柵や、ぶたれること、あるいは「育児に没頭する」ことを抑制して(Bonnard によって記載されたような)、強ばってしまっている母親に身体、にし出会わなかったら、そうした経験はまったく異なったものを意味することになります。そしてその経験が、避け難く繰り返されると、幼児の分化/統合過程や、幼児が妄想から現実をより分けたり、外的現実から内的現実をより分けるのを助けないのです。そこでは、空想的でしかないものが、幼児にとって現実になってしまい、その結果の通常の投影と取り入れの過程が生じえないのです。このようにして、自我の統合がひどく障害されるのです。