ストリート・アートと、犬用ソーセージと、【わたくしが、伝えたいの
今日は、午前中に新宿をぐるりと歩き回り、街角にあるものを沢山写真に収めてから、吉祥寺や井の頭の街角を歩き回りました。
井の頭公園は、『俺たちの旅』でしたか?で、よく写っていて、曲も大好きだったので、一度は行って見たいところでしたが、季節のせいか?時代のせいか?イメージと(期待し過ぎたかもしれません)違い、井の頭公園から、吉祥寺駅までのショップで、目の保養をさせて頂きました。(笑)もの作りの参考になるものがカンペ山のようにあり、勉強になりました。
お昼を食べていなかったので、井の頭公園に散歩に行く通りにある、ソーセージ屋さんで、ソーセージを食べましたが、犬用のソーセージもあり、人間が食べても大丈夫とのことでしたので、親分が、食べていました……
( ̄□ ̄;)!!
塩分を少なくしているとのことでした。(笑)
本は、早朝に読みました。
リトル先生の一番有名なくだりだと思われましたので、しつこくアップします。
〜Freudは、その過程を詳細に辿りまらす、精神分析の観点からです。彼の説明は、鋭く、一貫し、確信に満ちていますが、このように固定された妄想状態を解消する可能性については、示唆されていません。わたくしが驚いたのは、転移が妄想的である、わたくしの患者たちが、まったく同じパターンに従うということです。しかし、もちろん、患者たちの妄想は、一時的なものでもないし最近発展したものでもない(患者たちは、小説の登場人物でもありません)ので、回復は、今挙げた例のような、一回のエピソードだけでは起こりません。繰り返されなければなりませんし、その度ごとに、より意味のある、有効なものになるのです。
この意味ある言葉とは、パリ会議の演者によって、しばしば用いられていました。そして、わたくしは、ここでの文脈では、わたくしたちにとって、その意味とは、「自我の拡張」そのものだと思うのです。これらの妄想の症例では、自我の拡張にとって事実上は、外傷的にしか生じえないようなので、それが、彼らが遭遇する困難さ、の部分的な説明なのです。
わたくしは、さらに妄想が、隠蔽している未分化状態について、少し延べたいと思います。その状態のことは、非常に複雑な主題で、別に論文が必要なので、新しいとか、独創的なテーマとかではありません。わたくしの接近の方法だけが、新しいのかもしれません。
一次的同一化や一次的自己愛、という用語は、わたくしの気持ちとしては、その状態にふさわしくないし、妄想−分裂態勢、もそうです。わたくしは、むしろ、根源的な未分化状態として、つまり、原初なる一(basic unity)、として記述したいのです。そこには、原初的同一化が含まれている、と言われるかもしれません。わたくしが、伝えたいのは、その未分化性が完璧だということです。深さにおいても、広さにおいても、そうだということなのです。他のことはさておいても、そこには、何も存在しないのです。そして、分化の過程は、痛みから始まらなければならないのです。〜