うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

巻き爪用テープと、【つまり、分析者が、自分自身の被害不安や抑うつ、そして、自分の行っている仕事と切り離せないさまざまな不安を、どこまで処理し得てきたのか、にかかってきます。】


 看護師さんが、巻き爪用のテープを買ってきてくれ、巻き爪の方に貼ってくれていました。

 全体が、巻き爪の方や、一部が巻き爪の方が沢山おられますので、来年になったら、巻き爪の講習会に、行って頂きたいと思っています。
安くはありませんが、行く価値はあると思います。 

 急に夜勤になったので、自分の用事を諦めました(笑)まあ、大したことがないので、問題はありません(笑)
本は、早めに出ていつもの(笑)ファミマで読みました。

本当に勉強になったっり、考えさせられたりばかりの本ですが、『わたくしが確信しているのは、実験が、訓練された経験のある分析者によって行われることが、精神分析の未来の成長、発展にとって不可欠だということです。しかし、それを行うには、熟知しかつ進んだ引き受けた責任性が、その背景になければなりません。』は、やはり、机の前に座って、電話だけや、自分の売名行為だけしかしていない輩ではなく、現場で真摯に利用者さん達と向き合っている人間にしかできないと思われます。やっぱり現場で働く人間の意見が一番先に取り上げられなければ(本当に勉強して、自分の名誉の為ではなく、利用者さん達の事を一番に考えている人間が)障害福祉は何の進歩もなく、3Kの仕事場だけとしか思われないのでしょうね.....。行政が悪いのか?相談支援という制度(せめて、生活系の施設の経験がないと、本当の支援計画何て立てられないのでは?と思います。きれいな?笑えるような?夢見ているような?文章や言葉が並んでいたりしますので)が未熟なのか?なんなんでしょうね?


要約
 わたくしは、いくつかの特別な要素を提示しようとしてきました。わたくしは、そのうちのいくつかは、不可欠なものだと考えているのです。つまりこういう患者のニーズに対する、分析者の総反応の中にある要素のことです。さらに、それらの要素を直接的に用いることのできる方法を提示し、直接用いて得られた結果について提示しようとしてきました。それらは、わたくしの考えでは、いかなる分析においても、ある段階になると、明確にする必要のあるものです。それらがより顕著に現れるのは、非常に障害の重い患者の分析においてであり、神経症患者の分析では、さほど明らかではありません。それらは、望ましい、成功したあらゆる分析の中に、暗黙のうちにあるいは明らかに、存在していますし、それらのいくつかは、部分的に成功したあらゆる分析の中にすら、存在しています。 分析者の患者に対する愛と憎しみの総体には、それらが分析者の総反応の原動力になるのですが、基本的で変化しないものと、変化するものとの両方が含まれています。分析が、分析者の役割を問題にする場合には、主として、基本的な変化しない部分がどうなのかが問われました。そしてそれは次に、分析者の生きている世界が、どれほど正気で、友好的かはその程度を問うことになります。つまり、分析者が、自分自身の被害不安や抑うつ、そして、自分の行っている仕事と切り離せないさまざまな不安を、どこまで処理し得てきたのか、にかかってきます。もし分析者がそうした点で自信があるなら、そしてその結果に自分自身を信頼できるなら、患者がその分析者を直接的しても、おそらく安全でしょうしました患者は次第に分析者を信頼するようになるでしょう。つまり、分析者が自分自身を信頼できないなら、患者が分析者を信頼するのは、おそらく安全でないのみならず、不可能でありましょう。そして、失敗と、おそらく悲劇が待っていることでしょう。 この基本的な、変化しない要素が、分析の安定性をもたらしているのです(今一度、分析者に関する限りです)。変化するもの、無意識的な逆転移、分析者が担っている負担の総量が担って日々、あるいは時々刻々と変化すること、彼の健康、彼の外界への関心など、これらすべてが、分析の難しさの要因になります。ことに、変化の幅が大きすぎる場合にそうなります。それらはまた、分析者の責任性の一部でもあります。分析者が気をつけておかなければならないのは、変化の幅を大きくし過ぎないことや‼️またあまりに簡単に、変化を固定したり、固定を解いたりしないことです。しかしこれらのことは、わたくしが述べてきた他のことと同様に、有益にも有害にもなり得るのです。それらは、分析者の生命の一部であり、また分析という仕事の生命であり、動きなのです。 分析は生きているものですし、あらゆる生きているものと同じく、絶えず変化しています。その存続が気をつけてわずかな年月であっても、わたくしたちは多くの変化を見ることができます。特に、技法の分野においてそうなのです。今日治療されている患者たちは、二、三年前までは、分析に向いていないと考えられていたのです。Mrs. Kleinが思い出させてくれたのは、児童分析や転移解釈のようなことは、かつて不信の目で見られていたということですしわたくしたちには、どのような精神分析が将来的現れてくるのか、知ることはできません。知ることができるのは、精神分析は変化するだろうしないわたくしたちは今一度精神分析の未来に貢献していますということ、そして、今日の変化は、わたくしたちの後から来る人たちには、違ったように見えるだろう、ということです。  逆転移」、さまざまな意味を持ったこの言葉が指すのは、とても身近に現象です。最初はした転移のように、危険で望ましくない、しかし避けられないものと見なされました。今では、重視すらされています! しかしわたくしは、もっと重視されなければならないと思います。わたくしたちは、患者に対するわたくしたちの反応について、まだ十分に分かっていませんし、今まで、自分たちの反応を利用することに(概して賢明なことに)、用心深くしてきました。しかし、非常に大量の心的エネルギーが、わたくしたちの反応に注がれています。そう望むと望まないとに関わらずです。ですから、わたくしたちが、このエネルギーから十分な利益を得ようとするのなら、患者にとってであれ、わたくしたちにとってであれ、わたくしたちは進んで実験をしなければならないし、ある程度の危険すら冒さなければならないのです。わたくしが確信しているのは、実験が、訓練された経験のある分析者によって行われることが、精神分析の未来の成長、発展にとって不可欠だということです。しかし、それを行うには、熟知しかつ進んだ引き受けた責任性が、その背景になければなりません。