うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ひーひー王子.........と、少しだけお正月気分(笑)と【すなわち彼らの母親自身が幼児的であり、自分の乳児と同様に、分離にも融合にも耐えられなかったという状況、母親の不安と不適切な振る舞いが、子供にとって、現実に迫害的に作用したという状況です。患者は、抑うつ態勢の水準に達することができなかったのです。】


 今日は夜勤明け、肝機能検査で横になっていると、ついうとうと(笑)お腹を膨らませて!へこませて!との医師の声掛けに、まんじじと応え(笑)何とか脂肪肝ではないとの結果がでました(笑)疲労ではないか?(数値が悪いのは)との結論に少し納得(笑)して帰宅しました。
 なんやかんやしていたら、もうこんな時間、玄関が騒がしいと思って行ってみたら、ひーひー王子が血相を変えて(笑)散歩アピール!
負けて行って来ました(笑)

 途中でファミマによって、草餅を買って来て、お薄を点てました。正月飾り等また、ゼロ予算で作らなあかんなと思っていたら、自分の作業場に転がっていた、誰かに頂いたお雛様の飾りの一部があり、玄関に置いてみました(笑)何だか個人的に(笑)お正月気分になりました。
 シフトの変更があったので、今年最後の夜勤が明日になります。
 色々あった一年でしたが、まだ振り返るのは早いですね(笑)



 本は、受診待ちの時に読みましたが、肝機能検査があるので、昨日の21時から今日の11時過ぎまで、水とお茶だけで夜勤明けの忙しさを潜り抜けた?ので、あまり力がでませんでした(笑)。

 どこを読ませて頂いても、本当に勉強になります。この類の本は、後どれだけあるのでしょうか?
それを考えると気が遠くなってきました......。

今日は早めに寝ます(笑)

第4章 妄想的転移について(転移精神病)
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精神分析治療を行っていると、転移解釈を利用できない、ある種の患者たちがいることに気がつきます。彼らと、他の患者との差は、質的なものであり、量的なものではありません。彼らは、明確な集団を成しているわけではなく、その中に含まれているのは、性格障害、性的倒錯、ある種の心身症状態、精神病質などで、狂気ではないけれども、非常について迫害不安と抑うつ不安を抱えた人たちです。
 転移解釈がそうした患者たちに与えられると、次のいずれかになります。
(1)解釈は、患者にとって、意味のないものとして体験され、患者には利用できません、 (2)解釈は、患者に、表面上は理解されたかのように受け入れられますが、分析者は、後になってない解釈が何の影響も与えなかったことに気づきます。何も変化しないし、何の洞察も得られなかったのです。こうした患者たちの分析治療では、他にも、いくつかの特徴が見られます。
a,彼らの夢を、通常のように分析しても、効果がありません。彼らは二種類の夢を報告します。一つは、夢の顕在内容からたくさんの連想が生まれますがある意味ある潜在内容がまったく発見できないものです。夢の内には、何も存在していなくて、防衛機制だけが存在するのです。もう一つの夢は顕在内容と潜在内容と一つのもので、顕在内容が夢の思考そのもno
であるのです。

b,思考作業に種々の欠陥が見られます。象徴化能力の不完全で刺そう「種々的等価物」(「一次過程による象徴化」)と具象的思考が見られ、正解な演繹や推論の能力が大幅に欠けています。
c,行動化は激しいものになります、あるいは、その激しさが、受け身的な形をとって、消極的な現れ方をします。こうした患者たちは、他者の注意を強く自分たちに引きつけようとしますし、他者を自分たちの事柄に巻き込み、他者の事柄に干渉しようとします。
d,彼らは非常に依存的になりがちで、誰かを見つけて、できるだけ、自分たちの自我機能の多くの代わりをしてもらおうとします。真の分離も、真の融合もありませんし、相互共生もありません。あるのは相互利害だけです。「しっぺ返し」や「魚心あれば水心」だけがあるのです。彼らの関係は、二人精神病になり、各自が、それぞれ優先権や優位を主張します。二人とも乱暴になったり、あるいは、一人が支配し、片方がそれに従い、ときとしてそれが逆転したりします。 分析治療の関係も、上記の特徴に基づいて、受け取られることになります。患者は、分析者との間に、二人精神病を作ろうとします。不平等な関係とか、相手側の条件でのgive−and−takeの関係なんてものは、以前に生じたことはまったくなかったようです。そうした考えは、まったく理解されないものであり、患者が、その考えに譲歩しても、譲歩したとは受け取られないかもしれません。しかし、もしそう受け取られると、患者に非常な満足が生じますが、同時に罪悪感も生じます。
e, こうした患者たちは、分析治療に対して、一種の嗜癖を発展させるようです。彼らは、飽くことなく愛情と関心を求め、それによって、自らの際限のない憎しみと破壊性を、魔術的にコントロールしようとするのです。 この「分析治療への嗜癖」の結果、何かあるものを、冷酷なまでに、繰り返し追い求めることになります、患者や分析者のどちらかが、犠牲になってもです。しかし、まさにこの特徴が、ときには、見込みのないように見えた分析を、最後には成功させるのですが、それも、その「何かあるもの」が認識され、得られた場合だけです、少なくとも、印だけのものであってでもです。患者の要求と、彼らが得られるものとのギャップを、分析者は十分に認識していなくてはなりません。

f,こうした状態というのは、ある状況から生じてきているように思われます。すなわち彼らの母親自身が幼児的であり、自分の乳児と同様に、分離にも融合にも耐えられなかったという状況、母親の不安と不適切な振る舞いが、子供にとって、現実に迫害的に作用したという状況です。患者は、抑うつ態勢の水準に達することができなかったのです。というのは、こうした環境下では、投影と取り入れという通常の機制が歪曲されるからです(もちろん、これは単純化しすぎていますが、ここでは、これ以上詳しくは述べられません)。