うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ねこさんと、アンプの設定と、【ジョセフのおおもとの狙いは、患者と分析家の間でいきいきとしたなまの情緒的なふれあいの在り処を見出だすことです。】


 夜勤明けで、少し本を読んでから帰宅したら、ねこさんが気持ちよさそうに寝ていました。
昨日今日の昼間は、半袖でもよいくらいの気温でしたね!

 午後から、機材の搬入があり、福祉村さんまで行って来ました。
ドラマーの大森君もドラムの搬入に来てくれていましたが、スティックを忘れてきたので、音出しが出来ず、ギターだけの音出しになってしまいました。
 ギターだけだと良い感じでしたが、同時に鳴らさないと分からないですね......。取り敢えず、アンプのつまみの写真を写しておきました。これを元に動かしていきます。
まあ、耳の肥えた方がPAをしてくださるようなので、彼に聞いて頂きましょう。
お天気が良いそうで、こちらも良かったです!



 本は、ビオンの『記憶と欲望についての覚書』に入りましたが、アップはまだ総説です。
本当に総説だけでも、初学者には勉強になります。下記も現場で忘れてはいけないこと(いきいきとしたなまの情緒的なふれあい)だと思っていますので、本当に参考になりました。

 3日、5日と演奏が続き、リハや音出しを入れると、4日連続の機材の搬入・搬出になりますが(笑)頑張ります!
ちょっと忙しいくらいがちょうどいいですね。





ジョセフのおおもとの狙いは、患者と分析家の間でいきいきとしたなまの情緒的なふれあいの在り処を見出だすことです。このことが真の理解に必要な条件なのです。いきいきとしたなまの情緒的なふれあいが必要条件に過ぎないのかは私には定かではありませんが、もしそれが意識に上がるのなら、そのことが実際のところ理解なのでしょう。ジョセフは、始めに情緒的なふれあいを見つけ出し、それからひとつの説明的な解釈を作り上げるといった形では素材を示してはいません。むしろ、ある瞬間にふれあいの地点を見出し理解し、それを出来る限り意識化させ、それからそれが沈められ、他の内容に移るか、もしくは失せてしまうその過程を分析していく形をとっています。 セッションで患者たちがコミュニケートしてきていることの多くは、言葉の表象内容に表されているのではなく、ふるまいを成しとげるための言葉の使用、分析家になにかをしたり、あるいは患者になにかするよう分析家に巧みなプレッシャーをかけるための言葉の使用を通して表現されると彼女は主張しています。分析的な役割とは、なにかあることをしたり感じたりさせようとするプレッシャーを受け入れ、それを離さず、それに支配されていることを熟考し、そうしてそこで、そのいきいきとした当面のふるまいについてのみ限られた正確な解釈をすることです。彼女は“どちらにもとれる解釈”double−barrelled interpretations,2つ以上の対比する内容を含む解釈を避けます。なぜなら、解釈のどの部分に患者が反応しているのか判断できないからです。無意識的空想の身体での表出や概念化をはやまって結びつけることや、患者の生活史でわかっている事実とのはやまった結びつけを彼女は避けます。それを彼女は“まことしやかな解釈”と呼んでいますが、そうしてしまうと、患者と分析家は当面していきいきとした情緒的現実を失い、本質的には、第三者としての患者についての無難な理論的討論をしていくでになると彼女は考えます。患者は転移の中で、自分の幼児期体験や不安と防衛の独自のパターンや人格の異なった部分間の葛藤を最体験し反復するという一般的な精神分析的見解をジョセフのアプローチはさらに推進し、拡大しています。とりわけ、彼女のやり方は、幼児期の防衛の反復である、心のバランスの歳月をかけたシステムを維持したり修復しょうとすることで苦痛な情緒への直面からまぬがれるふるまいに分析家を引き込む試みを強調しています。 ジョセフのやり方にクライン派の分析家たちは皆関心を抱きました。全員が情緒的なふれあいの大切さには同意しています。けれども、いまここの分析状況での情緒的なふれあいを失わずに、より包括的で総合的な解釈や患者の生活史とのいきいきとした連結ができると分析家の多くが感じています。〜