うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

秋ですねと、【気を配ることもまったくなく、物を壊したり、破ったりすることが長く続いた後に、彼女はある人形を壊してしまい、そのことに初めて泣いた。】



昨日は、いらだつことがあり(笑)早く寝てしまい(笑)元日から続けていたブログの更新を途中でやめてしまっていました(笑)
柿の葉が色づき、実も赤くなり始めて、景色はすっかり秋ですね。

 いらつく度に、大阪に帰りたくなるのは、大阪が自分にとっての象徴なのかもしれませんね!
どうせ認められるなら(アートでも音楽でも福祉でも)やはり大阪がいいなと思うのは、帰巣本能でしょうか?ただ単に逃げているだけでしょうか?(笑)
携帯にネタが、沢山あるので(笑)アップには困りませんが、順番を飛ばしてヘレン・ケラーの下りにさせていただきました。
 

補遺1979:象徴形成について
 〜言語化は受け皿と収納物(なかみ)の角度から見ることもできよう。象徴性が無意識に形づくられるのと異なり、話すことは学習されねばならない。赤ん坊は音を出すことから始めるのだが、それらの音は環境によって取り上げられ、話すことへと変換されねばならないし、言葉とか句は環境から学習されねばならない。幼児は体験を重ねていくのであり、母親はこの体験と結びついている言葉や句を供給する。言葉や句は意味をなかにもち、包み込み、表現する。それは意味への受け皿を供給する。そこで、幼児は意味を含んだこの言葉や句を内在化できる。私の患者には彼女の意味することを包み込み、それに表現を与えるものとして私のすべての解釈や言いまわしを体験することが最も難しかった。奇妙なことが私の解釈に対して起こった。それらの解釈は彼女の腹痛や性的な興奮となった。それらは暗記され、他のことに応用された。それらは、たいがい少し歪められたり、しばしば情緒的意味あいを取り除かれたり、ときにはまったく逆転された形での彼女がつくり出したものとして、たびたび私に返された。彼女が見たある夢とその連想はこの困難さを描き出していた。それらを理解するために、ヘレン・ケラーの自叙伝(1954)のなかの美しい一節に言及してみよう。そこではどのようにしてヘレン・ケラーが初めて話すことを再発見したかを描いている。長い間、先生は彼女の手のひらに字を書くことによって彼女とコミュニケートしようと試みていた。ヘレンは反応しなかった。その日の午後、先生が、もう一度、彼女とコミュニケートすることを試みて、手のひらにある言葉を書いたとき、ヘレン・ケラーはそれを理解し、反応した。このようになって象徴的なコミュニケーションを理解する能力が彼女の初めての抑うつ感情の体験、自閉的な子どもたちを分析している人びとにはとても馴染み深い体験だが、それに続いてただちに、そして直接に生じた。


ヘレン・ケラーの著述と私の患者のそれについての陳述は、異なった種類の象徴形成を例示していると私は思う。ヘレン・ケラーは身体の障害を抱えながらも、聴き手とのコミュニケーションを十分に成し遂げることができた。しかし、私の不幸な患者は、他者がたやすく理解できるようなやり方で話すことがまだできなかった。母親から教わった話すということを彼女はいまだに受け入れることができなかったのである。