うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

さようなら川口と、銀座と、【つまり、吸うことができたり、特定の触感覚を持っていたり、この種の感覚を与えてくれるものであれば何でもよかったのである。】




 川口では、沢山の方にお世話になり、撮影NGの工場もありましたが(遠方から来て頂いたのに、済みませんと丁寧に言って下さいました。)、自分なりに満足させて頂きました。

 荒川を渡れば、東京ですので、川口は東京みたいなものですね。初の埼玉でした。












 用事を済ませ、留守を守って下さっている方にお土産を買いに、銀座へ向かい、銀座sixに行きましたが、本屋さん以外は、自分たちには金額的に無縁でした(笑)が、目と心に肥を頂いて来ました。
 ポール・スミスも壁面の作品だけ見させて頂いて来ました。他のお客さまには、店員さんがついてましたが、自分たちには、最後までつくことはありませんでした(笑)。見てくれが如何にも貧乏だから仕方ないですね( ̄▽ ̄;)
 資生堂パーラーで、赤瀬川原平さんと、その周辺におられた方々の作品展をしていたので、ついでに見させて頂きました。
 自分も、もう少し頑張ってここで作品展をしたいな、と勝手に思いました(笑)ほんまに勝手ですね( ̄▽ ̄;)

 明日は、草間彌生さんを見させて頂いてから、帰ります。

 川口でも早朝に起き、川口駅を散策し、本も読ませて頂きました。アップはその時に読ませて頂いた箇所です。

 自分の本分は、アートと音楽と思いますが、来年の3月一杯までは、精神分析関係の本を真剣に読ませて頂き、支援の基礎を作り上げたいと、思っていますので(来年度には、しっかりした方が入って下さる予定なので)、それまでにきちんと形を整えないといけませんね。

 丁寧に引き継ぎが出来れば、アートと音楽にもう少し時間が取れるかな?と期待もしています。


 下記は、本当に学ばせて頂きました。アップさせて頂いた箇所すべて、大事に思いました。



第3章 考察(Ⅲ)
彼には、他に何も頼りになるものがなかったので、唯一頼ることができたのが躁的で万能的な否認であり、それと同時にしばしば、憤怒と絶望を投影し、そして吸ったり撫で上げ見つめたり触ったりすることができる他の具象的対象を見つけるまで絶え間なくそれを探し回ったのである。
 ティミーの主に二次元的な世界でも、接触しうるたちは存在しており、私たちが論じているのは、彼が無思考状態の時に、記憶、特に再認や感覚の記憶をまったく持っていないということではなく、むしろ、彼の記憶は、私たちが知覚パターンによる再認としての、コンピューター型記憶と呼びうるものに近いように見えるということである。たとえば、虫でさえ、迷路の順路を再認するように教えることができるかもしれない。それゆえに、彼は心の中に良い対象を最小限にしか持っていなかったにもかかわらず、それに実際再び接触することができたのである。なぜなら、必要な母性的な性質の一つを持っている外的対象はそれが何であれ、何らかの形で適合する仕方で感覚的気づきを与えてくれる力を持っているからであったかもしれない。つまり、吸うことができたり、特定の触感覚を持っていたり、この種の感覚を与えてくれるものであれば何でもよかったのである。
 したがって、この時点で、このような単一の感覚的知覚様式に頼る強い傾向がある子どもは、意味のある内的対象を形成する能力も、外界対象と適切に関係を持つ能力も、考える能力も損なわれていたことが見てとれる。それによって心を発達させることのできる象徴は、単一の感覚的知覚様式を求めそれを用いることで物理的に外的対象に縛りつけられているようである。なぜなら単一の感覚的知覚様式を、他の諸感覚と結びつけて意味のある全体を形成するようにできないようであるからである。彼の行動は、情緒的にも身体的にも混沌としており、反復的である一方、彼の記憶は、象徴的な想起というよりも、むしろほぼ完全に非常に狭い再認によって機能しており、乳房の構成要素との関係、そしてそれを巡るライバルたちとの関係という狭い領域に関することにほぼ占められているようであった。〜