うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アトリエ・カーグとバンドクラブと『精神病エピソード:ひとつの長期臨床経過』(患者から学ぶより)


 今日はアトリエ・カーグの日!
全紙の黄ボール紙に描ける方には描いて頂きました。
 迫力が出ますね!

 紙が大きいので立っての作業になりました。
最終的には机の反対側に来て仕上がりました。



 細かく描かれる方々は来月続きを描いて頂くことになりました。


 ゆうちゃんは小さな画用紙がいいと、いつも通りに描かれましたが、

素敵に仕上がりました!



描き終ってから、晴君と遊びました(笑)
素敵な作品の後に、申し訳ありませんでした......。


 バンドクラブは、出演が決まったら、みなさんきちんとまとまります(笑)歌は結構まとまっていました!



 早朝に機材を載せ込み、マックで1時間くらいコーヒーを飲みながら『患者から学ぶ』を読ませて頂きました。
 またまた長いですが、(これでも大分割愛しています......)赤字の箇所は是非読んで頂きたいと思いました。相変わらず、誤字脱字が多いですが(笑)


精神病エピソード:ひとつの長期臨床経過
例6・6
25歳のある患者(Wさん)は私との週1回の治療を受けていました。彼女が私のもとに送られてきたのは、彼女の以前の治療者が英国を去り、それで彼女と会えなくなるからでした。
前のその治療は、スーパービジョンのもとになされていました。その間にWさんは短い精神病性破綻を経験していました。そのおりには、彼女はある精神病院に6週間入院させられましたが、彼女の治療者が彼女を見続けることは許可されました。
(この病院を私はA病院と呼びます)その病院のコンサルタントはステラジンを使いたがったのですが、スーパーバイジング・コンサルタント・サイコセラピストからW夫人にはバリウムを続けるように説得されたのでした。
その治療で次の年に、そのスーパーバイジング・コンサルタントは、Wさんの治療はあまりインテンシブでないほうが彼女がよりよく含み込まれるだろうと勧めたのでした。これはその通りでした。それで、彼女が私に送られてきたとき、私もほんの週1回しか会わなかったのでした。
彼女との治療の間、私が最初の夏期休暇をとるまでのサマー・タイムの間、私はずっと休まずWさんと会っていました。私は4週間休暇をとりました。戻ったときに、その週の間に彼女は精神病に陥ってしまい、B病院に入院していることを私は見出だしました。この病院の精神科医は彼女にステラジンを始めていて、Wさんがバリウムだけで含まれうることを証明していまたA病院と相談してくれるように私が頼んだにもかかわらず、これを考え直そうとしませんでした。
この機会には彼女は4ヶ月間入院しました。私はそこに彼女を定期的に訪ねましたが、終始変わらず、私はいかなる感情水準でも彼女に通じることができませんでした。彼女は生気なく、こわばったようでした。自分はあたかも「綿を通して人に話しかけようとしている」ようですと彼女は言いました。
この4ヶ月の終わりごろ、こわばったような患者と再び意味のあるふれあいでき始めていると私が感じ始めました。彼女は感情を再びもちはじめて。彼女が退院しようかというとき、そのコンサルタント精神科医はこの改善がステラジンによるものであることを私に忠告しました。彼によって、私は医師でないために、彼にできたやり方でこのことへのWさんの求めに応じることは私にはできないことを思い起こしたのでした。
Wさんが再び私のコンサルティング・ルームに私に会いに来るようになったとき、B病院を去る6週間前から、薬をのまずにすてていたことを私に打ちあけました。ステラジンをのんでいる間、彼女はほかの人たちからずっと遠ざけられてしまっていると感じ、のまずにいることが彼女にできる唯一のことに思えたのでした。薬物で「ぼわーっ」となっていた間、私の訪問をまったく利用できなかったと私に語りました。
Wさんに2年間、週1回会い続けたところで、彼女の母親が亡くなりました。このときには、彼女はおもにそのことについては自分自身が何も感じないようにすることと折り合っていきました。そして、あからさまに混乱することもなく日々の生活をなんとか続けていきました。
それから、私の次の夏期休暇に先立つ数週間前に、ひとつのとても小さな三角形とその横に一文字のイニシャルが記されている一枚の紙を入れた封筒を郵便物として私は受け取りました。その字体はあきらかに震えていたので、私はそれから、Wさんがこの前病院にいたときから私にはなじみのあった「ステラジン書き」を思い起こしました。その消印はA病院の近くでしたし、そのイニシャルはWさんの名前のそれでした。
A病院に電話をして、この患者が精神病の状態で二日前からそこに入院していることを私は知りました。私は彼女の新しいコンサルタントと話すことができました。彼女もWさんにステラジンを始めていたのですが、これをバリウムに変えることに、そこに、私の訪問にただちに同意してくれました。
私がWさんに会ったとき。彼女はいまだ自分自身の悪夢の世界に浸ってましたが、私をはっきり認めました。彼女は言葉を爆発させるように私に話しましたが、そのすべてが解明できて、つじつまがあうわけではありませんでした。けれども、このとぎれとぎれのコミュニケーションから、私は次のことを拾い上げることができました。
患者: 「ヨガ…」(間)「落ちていく…すべて 落ちていく…止まらない」(間)「抱かれている…ヨガの先生、私をいている…」(間)「バラバラ…彼らが私に書いてきた…ヨガ教室…」(間)「から6ヶ月…からたっていない…私はふたたび落ちていく…落ちていくのを私は止められない」
こるから私にわかることをつなぎあわせることで、彼女の母親が亡くなってからはじめてヨガ教室を訪れたことを彼女が私に言っていることがわかり始めました。繰り返される、落ちていくとの主題も「考えられない不安」unthinkable anxietiesのひとつとしての「限りなく落ちていくこと」falling foreverそして、もうひとつの「バラバラになっていくこと」going to pieces というウィニコットの語義を私に思い出させました。(Winncott 1965b:58)。

これらのヒントの手助けによって、起こっていたであろうことを私は分かってきました。Wさんはヨガ教室に戻ることで、母親の死についての情動を伴った実感に突然襲われたのでした。このことは彼女を退行に戻し入れたようでした。そのなかで彼女は誰からも抱き上げられない子どもになっていました。ヨガ教室は彼女を身体的に抱き上げたのでした。彼女は私からの別の種類の抱っこを必要としていました。それゆえ、彼女が体験していると私が思うことを私は解釈していきました。〜

検討:この患者にとっての分析的な抱っこのありさまは、この経過のなかでのそれぞれの危機の瞬間において、私が彼女にふれておくことができたその程度によっていました、その妨げになったいろいろな妨害物がありました。彼女がステラジンをのんでいたときには彼女は医学的に含み込まれていました。けれども、洞察とかあいだがらによって抱っこされていると感じられなかったことはもとより、情緒的にも動かされませんでした。薬物は、彼女自身の感情にふれようとすることとか、彼女の心にふれようとする私の試みへのバリヤーをのでした。彼女がステラジンをのんでいないときに立ちはだかり始めた障害物は、彼女の剛さや彼女を含み築いた込む私の能力についての私の自信のなさと関係していました。
 患者に私が抱いている概念や彼女が感じていることとの私のへだたりを無意識に伝えていく振舞いを私がやっていた間、そのことのため、おのずと彼女は不安と孤独を感じました。この最後のセッションの間に、とてもはっきりとコミュニケートされた、私への彼女の無意識の助言を私が拾い上げたことを伝えたときにはじめて、治療的な抱っこが再び始められましたし、それ以前にはなかったのでした。

症例の再検討
 私はこの章ではひとつの主題にそってバリエーションを示してきました。「安心づけは決して安心させない」と私たちは教えられています。それは覚えておくには容易な原則ですが、応用するのは決してそんなにたやすくありません。ですから、安心づけをしたいこの衝動に私たちが屈するときに働いている力動のいくらかを描き出す例を出してみました。
 そうした瞬間に、「最良の含み込みとは、よい解釈である」との技法についてのもうひとつの格言を実践しようとすることも、また、難しいものです。それは、患者の言っていることや感じていることをすじみち立って理解できることを意味しています。適切なタイミングも含まれています。もし、ある解釈が、内容においては正解でも、タイミングがまずければ、それは悪い解釈です。それは患者から迫害的なものと体験されさえしましょう。
 そうしたわけで、分析的な抱っこは、自分のもののように感じるほどまでに、他の人が感じていることに心からふれておくことにもちこたえる能力にいつも基づいています。患者によってその治療者のなかに引き起こされた感情を解釈に利用するやり方もあるに違いありません。
 けれれども、インパクトに基づいている解釈は、その患者がなにゆえ彼が感じてきていることを治療者が体験するよう求めているのかについての気づきを含んでいるべきです。もし、いまだこれを目的を持ったコミュニケーションと見られないなら、回避することによってか、もしくは、患者たちから報復として体験されるような振舞いによって、治療者が役に立たない対応をする重篤な危険性があります。一般に、患者はあいだがらでの過去の失敗に基づいているこれらの反応のひとつを予想しているものです。
 患者たちが教えてくれたことですが、私が患者自身の耐え難い感情を感じるままに(それらによって侵入されることさえも)できるなら、そして、これを私が(矛盾を含んでいますが)耐えがたいけれども耐えられもする、と体験できるなら、私は、なんとか、続けていく道を見出すことができるでしょう。患者のなかのもっとも扱い難い感情のなかのひどい恐怖を私は「和らげ」始められましょう。
 まとめてみますと、治療者は、含み込むことと同様に解釈することもできねばなりません。受身での含み込みでは充分ではありません。なぜなら、それは、その治療者が治療者として機能し続けられなくさせられているとの空想を育むからです。解釈だけでは充分ではありません。とりわけ、解釈が、患者がコミュニケートしたがっていることから治療者が防御的な距離を保とうとしていることとして体験されるなら、なおのことです。患者が治療者と真の感情のふれあいを体験でき、さらにその上で治療者が機能し続けることができるように、精神療法の技法はこれら二つの機能をいっしょにできなければなりません。この分析的な抱っこを患者に供給できる治療者の能力は、患者が自分自身のなかでの最悪と体験しているものを治療者が、本当に(そして、認識されながら)生き残ることを通して見出されます(Winnicott 1971:第6章)。