うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

月がとってもきれいからと、すろーじゃむ畑と、10,技法についての補遺



 昨日のひーひー王子との散歩時、月がとってもきれいでした!
学習効果なく、また携帯で必死になって(笑)写していました。

 帰りには、田植えが始まっている田んぼに月が写っていました。
画像が荒いです(笑)カメラを持って行けば良かったですね!

 今日は、雨で傘をさして散歩に行って来ました。
仕事の行き帰りは歩きで、ショートの方とも沢山歩き、14,492歩、412kcalの消費でしたが、頂いたお菓子を食べてしまいました.......。


 夕方、送迎で渥美まで行った帰りにすろーじゃむに寄ってきました

 ブドウは、今のところは順調

 イチゴは来週からでした(笑)

 ニンニクを一つだけ試験的に掘ってみたら、まだでした(笑)
5月に入ってからだと、世話人さんに怒られました(笑)
 イチゴは、送迎に付き合ってくれた、まりちゃんに試食してもらったら、美味しいとのことでしたので、みなさんで収穫しましょうね!




 『クライン入門』をやっと読みおえました。


『クライン入門』
10,技法についての補遺

 〜もちろん、基本的な精神分析の方法を堅持するということが、柔軟性を失った堅さになってしまってはいけない。ある特定の患者に対しては、まずはじめは、1週間に7回の治療時間をもつということが必要な場合があるだろう。また、ある種の精神病者に対しては、年のいかない子どもの場合と同じように、誰かが治療につれてきて、また、迎えにくるなどの対策が必要なこともある。しかし、ひとたび設定が確立されてから後は、それが患者の疾病によって支配されるようなものになってはならない。患者は、自分の内的な像、それに自分自身の自我の一部をも、分析医に投影する。患者が重篤であればあるほど彼は、それらの投影を彼にかわって分析医が行動化するようにさせようと、無意識に分析医に働きかけてしまう度合いが高くなる。分析医の側のそのような行動化は、結果的に、患者の万能感を裏づけしてしまうことになり、また、そのような投影をすることによって生じた損失のために、彼の人格の貧困化をもたらすことにもなる。分析医が、それらの投影を行動化することなく受容し、理解して、また、精神病的な内容を患者に徐々に伝えかえしていくことが、患者に、精神分析状況の中にいることについての基本的な安全感を与えるのである。
 精神分析の基本的な設定、態度、そして方法論は、われわれの理論的な見解によって変化するものではないばかりではなく、むしろ、強化されるものである。ということを私は強調したい。〜