うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ネコになりたい(笑)とシデコブシと、可能性空間


 毎日、バタバタしていますが、今日も予定以上の事務仕事が出来たので、何十年かぶりに、アコースティックギターで、吉田拓郎井上陽水を一時間くらい弾き語りました(笑)
 真剣に歌ったのは中学生以来でしょうか?今自分の中にあるリズムと中学生の時にあったリズムが違い過ぎて、中々リズムに乗れず、意外と苦戦しました(笑)ペニーレインでバーボンをと氷の世界は立派なR&Bですね!中学生の時に家で唄って居たら、継母から『お経唱えてるんかと思った(笑)』と言われてから、シンガーソングライターは諦め、ソングライターになる決意をしました(笑)
 ストレス解消にはもってこいでした!先日名古屋でHさんに連れて行ってもらった、昭和歌謡が流れている居酒屋さん(料理がめちゃくちゃ美味しかったです!)で、昭和が天から降りてきてしまったのでしょうね(笑)横でネコが迷惑そうにしていましたが、お構いなしで〜ペニーレインでバーボンを・ペニーレインでバーボンを〜(笑)
仕事に追われていても、寝たふり?ばかりしていられる、ネコになりたいですね。


 昨日も今日も、利用者さん達と沢山歩きました!
 今朝、利用者さんと滝頭公園で、散歩(ジョギングでした)した後に、もしかしてと籐七原湿原にシデコブシを見に行ったら、大分蕾が膨らんでいました。もうすぐ咲きそうですね!
 バタバタしている間にも月日は過ぎ、早3月!
電照菊もなかの知名度が低いことに気が付きました(笑)地元から離れた事がない職員が存在を知らなかったので、朝日堂さん!宣伝頑張って下さいね!今日が賞味期限の電照菊もなかがあるので、今からお薄で頂きます。明日は一応休みになっていたので、もう少し事務仕事やるので、大丈夫と思われます(笑)

 昨日今日、本は読めませんでしたが、先日、読ませて頂いた箇所をアップさせて頂きます。
 障がいをお持ちの方々への支援にも、役立つし心に置いておきたい箇所でした。


第8章 私たちの生きている場所可能性空
〜赤ちゃんは母親と融合している状態から、母親を自己から分離する段階へと至り、母親は、赤ちゃんのニードに対する彼女の適応の度合いを減らしていく(そうする理由は、母親自身が赤ちゃんへの同一化から回復するからでもあり、また、赤ちゃんの新たなニード、つまり母親を分離した現象にしようとするニードを母親が認識するからである)。
 これはまさしく、すべての精神医学的治療において遅かれ早かれ到達することになる危険領域と同様のものである。患者が、分析家の信頼性やニードへの適応、喜んで患者に没頭しようとする姿勢などによって、安全だと感じ、生きていける感じをもつと、こんどはそれを振り払って自律性を達成することへのニードを感じ始める。赤ちゃんの母親に対する関係と同じように、治療者の側に患者から手を離せるこころの準備がなければ、患者は自律的にはなれないが、しかし同時に、患者と融合している状態から離れようとする治療者側のあらゆる動きに対して険しい疑惑の目が向けられてもいるので、いつ大惨事が起こってもおかしくないのである。〜

〜あるいは、(心理療法に関して言えば)患者は治療者の思いやりが、依存してくるものを求めるニードから来るのではなく、「もし私があなたの身になったとすれば……..」という気持ちから患者に同一化する治療者の能力に由来しているのを感じ始める。言い換えれば、母親または治療者の愛は、単に依存のニードに応えることだけを意味しているのではなく、この赤ちゃんまたはこの患者に、依存から自律へと動く機会を供給することをも意味するようになるのである。
 愛がなくても赤ちゃんに授乳はできるが、愛のない、またはパーソナルではないマネジメントでは、自律性のある人間の子どもを新しく生みだすことに成功しえない。信頼と信頼性のあるところに可能性空間がある。そこは限りのない、分離の領域となることができ、そこを赤ちゃん、子ども、青年、成人が遊ぶことで創造的に充たすことができる。そして時とともに、この遊ぶことが文化的遺産の享受となっていくのである〜(ウイニコット)





 後、第10章と第11章を残すのみとなりました。明日、スチールの棚をすろーじゃむに運べと親分からお達しがでたので、それが済んだら読ませて頂きます。