うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

「からだ」と「ことば」のレッスンと、はんにゃのサインと、学園天国


 最近行きつけ?のリサイクルブック(除籍本の販売)さんで見つけた竹内先生の本をサリヴァンを読んでいるにもかかわらず、寄り道して少し読ませて頂きました。
 竹内先生は一時、林竹二先生と仕事をされていて、林竹二先生の本を通じて知りましたが、気になりながらも、あまり本を読んでいませんでしたので、50円でいいのかな?と思いながら買ってきました。
そういえば、サリヴァンも音声を重要視していましたね。

「からだ」と「ことば」のレッスン(竹内敏晴著)1,「話しかけ」のレッスン  2,〈話しかけのレッスン〉の実際  “声は単なる音声ではない” より
 私は、養護学校の教育現場に立ち会わせてもらうことがあるが、その際、胸が痛むことの一つに次のようなことがある。
 午前の授業が終わり、お昼を食べて、さて子どもたち全員が集まると、保母さんが前に立って、「では今日はこれでお終いです。さようなら」と言ってお辞儀をする。と、生徒たちも一斉に頭を下げて、たいていはかぼそい声で「さようなら」と言う。ところが、先生が自分にさよならを言ってくれたから、お返しに礼をしているという子はほとんどない。
 よく見てみると、子どもの傍らに保母さんや補助員たちがついて坐っており、前に立った人のお辞儀に合わせて子どもの頭を押さえて下に下げさせるのである。さまざまな障害があるから、そのようにして訓練することで行為を習得する結果をめざす場合もあることは承知している。が、しかし基本的に子どものお辞儀とことばは、前に立った人への答えであるはずだ。働きかけられることを受けとり、それに応えるという身動き、反応、なんと言ってもいいが、その人と人とのかかわりの機微を外して、礼もことばも成り立つはずがない。
 前に立つ人の挨拶に対し、子どもが顔を輝かせる、あるいはその上に「あ!」と言う、あるいは手を動かす、とすれば、それが人が人に答えることばなのである。それをめざしてほしい、と私は切に願った。
 ただこれは、実は、まずふつうの小学校、中学校で志してほしいことなのだ。そこでは、ことばと身振りはただ儀式として、というより信号交換になってしまっていて、声とそれを生むからだが殺されかかっているのである。


 バンドクラブも綺麗に歌う事を親御さんは求めておられますが、『あ』だけで全編通しても良いのでは?といつも思って居ます。
 アートも音楽も、福祉も、他人の言葉で表現している方の作品や支援には何の魅力も感じないのは、そういう事が根底にあるのでしょうか?



 今日は、街中音楽祭があり、ホームの方とショートの方が行ってこられました。
朝から夕方までライブがあった様ですが、自分は重度の方の支援で行けませんでした。
 まりちゃんがラッキーにも『はんにゃ』のサインをもらって来ていましたので、どうしたのか?と皆で聴いてみたら、当たったおばさんが、はんにゃの金田と息子が同級生なのであげると言ってくれたそうです。強運の持ち主ですね!
 

 竹内先生の部分は、本当は昨日アップさせて頂く予定でしたが、7時〜21時までの仕事で、情けないかなばててしまいました(笑)
 でもそういう日にこそアップしたいと、いつも思って居ます。
今日も長丁場でしたが、充実感(+++)です!
 明日はカーグとバンドクラブです!ホームとショートのメンバーに明日は頑張ろうと話し合って帰宅しました。
 バンドクラブは『学園天国』をしようと、頭の中ではアレンジが出来ていますのでMTRに録音するだけですが、中々時間がないですね(笑)hey hey heyhey hey〜