うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ケース会議とデザインと『面接とは過程である』


 今日はケース会議が始まる前、ミシン屋さんに来ていただき、ロックミシンの使い方講習会がありました。
 喜んで参加する職員、逃げて参加しない職員がいて中々見ごたえ(笑)がありました。
三河人は、石橋を叩いても渡らないと言いますが......。
ミシンの性能の良さは驚くべきものがありました。



 デザインが問題になっているこの頃?ですが、昨日名古屋で色々写真を撮ってきました。
 デザインって良い物ですが!

 こんな物もありました!素敵です。

 個人的にはめちゃくちゃ大好きです!

 夏休みからでしょうか?アレクサンダーテクニークの会場にこんな物がありました。勉強しない人なので忍者の様に前を歩きました(笑)


昨日は電車の中でサリヴァンを沢山読む事が出来ました!

第6章 面接とは過程である
211,つづき
被面接者の注意力に加えて、面接者は被面接者の“知性”(知能)についての印象を持つようにしなさい。相手の知性についての第1印象はまったく見当はずれかもしれない。たとえば、就職面接では、時々、文字通り言語を知らないように見える人に出会う事がある。だが、彼の職歴を聞いてみると、工場での複雑な機械操作にきわめて速く上達していたことがわかって、面接者は「こんなことが出来たのだからきわめて高い一般的知能の持ち主に違いない」と悟るかも知れない。このように、生きる上での補助として有効なものという意味での知能は、必ずしも言語使用の巧妙さでは計れるとはかぎらない。このことは常に念頭におかねばならない。言語使用の巧妙さが知能と密接に結びついているのは、言語的熟練を発展させる機会に恵まれた人だけのことである。



 でも世間は流暢にしゃべる人間に騙されてばかり(笑)だと思いませんか?

207,面接論過程:被面接者と面接者の態度変化:後者は前者を鏡として間接的に知る私は面接について多くの言葉を費やしてきたが、その示唆するところは、「面接とは一つの過程である」あるいは「過程のシステムである」という事ではなかろうか。この過程(プロセス)ということばには、むろん「変化」という含意がある。さて私には、この変化なるものを一般化して提示してみたい。一般化も眺め方の一つである。
多分、面接者が、現在進行中のものを見失わないたすけになるだろう。面接の場で進行中の変化と言えば一つは被面接者の態度の変化である。会話中における相手の態度の変化を察知するのは、誰にとってもまあやさしいことである。同じく対人の場で起こる別の変化で同程度に重要なものがあるが、こちらのほうに気づくのには訓練もずっと必要だし、もっと関心を集中しなければならない。この難しい方の変化は、面接の場に置いて「面接者の態度の変化が被面接者によって照らし返されること」である。すなわち面接者は自問しなければならない。「私の態度の何がいま被面接者から照らし返されているのか」「私の態度をどういうものとして経験しているように思えるか」「私が今していることを何と考えているだろうか」「私が彼にどういう感じを向けていると彼は思っているのだろう」である。
こういうふうに面接者が考えはじめると、面接というものを構成している複雑な諸過程を解くのに有用なカギが初めてたくさん現れるようになる。
面接者の熟練というものの一部は「面接者の態度についての被面接者の感じは確率的にどれが正しいか」ということをある程度自動的に観察が出来る様になることである。むろん被面接者の(面接者についての)印象が、面接者が「正解だ」と言いたくなるようなものからは非常に遠いかも知れない。つまり、面接者が非常に客観的で、完全に襟を正したくなるほど公平不偏な態度でいるのに、被面接者が、自分のだめさ加減を面接者があばきたてる作業にかかっていると思う事もありうる。被面接者の対人作戦をみると、どういうふうに体験しているかという手がかりが得られるものである。また、被面接者のとる対人作戦は、多くの場合「地位あるいは能力が上位だと感じられる相手に対して持つものであろう対人困難の型」を示してくれる。


 今日は朝から色々あり、先程帰宅しました(笑)
バタバタ出来る内が華ですね!
 明日はPC増設の日です。