うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

「春生、夏長、秋収、冬蔵」と「冬病夏治」と、すろーじゃむと『マッスル・ショールズ』


 今日も非常に暑かったですね!
夕方、ひーひー王子と散歩に出ても、アスファルトは暑かったです。
 大阪にいた頃は、光化学スモッグのせいか?非常に暑い日には、雀が落ちてきた事、未だに忘れられません。

 ひーひー王子が小用を済ませている間(笑)、空を見上げると、藤井達吉の絵の様な空がありました。
 今度、碧南の副理事長に会いに行ったついでに、碧南の美術館に行って、藤井達吉の図録を買ってこようと思って居ます。

 中医学では、人間は万物と同じように「春生、夏長、秋収、冬蔵」(春に生まれ、夏に成長し、秋に収まり、冬に蔵する)の自然規律に従っていますので、健康長寿を望むなら、この自然の摂理に従わなければなりません。とあります。夏(太陽)は心(臓)を活発にするので夏は気が満ち溢れますが、逆に活発になり過ぎると心(臓)に負担がかかり、病気になりやすくなるそうですので、ほどほどに頑張ります!
いつもそうでした(笑)
 また、 冬の病気は夏に予防する中医学の思想と言うものもあり、 喘息や関節の痛みなど冬に発作を起こしやすい疾患のある患者さんの多くは、夏場に中医学の病院を向かいます。夏でも気温が特に高くなる夏至から立秋にかけての時期を中医学では「伏夏」ともいいます。それは陽気の盛んなこの時期に慢性病の治療を行っておくと、冬場に症状がでても軽くおさえやすいからなのです。そのため、中医病院の鍼灸科などで、お灸をしてもらったり、針治療を受ける患者が増えるほか、生薬などを処方していわゆる「冬病夏治」を行うのです。症状が無いときや、軽いときに 予防のための治療を行うという発想は、中医学ならではの特徴のひとつだそうです。



 今日のすろーじゃむは、皆さんでロコ・ステーションに行ってきたと親分から写メが送られてきました!
 大あさりのフライが挟んであるサンドだとか!美味しかったそうです。
 暑いので、涼しいところでノンビリ過ごされた様です。

 カーグの利用者さんのご家族から着物を沢山頂きました!
すろーじゃむに入って下さる職員さん達が、色々構想を練ってくれていますので、助かります!
 おっチャンも、新しいバッグを考えましたが、未だ発表するには早いですね!作品の新たな展開にもしようと思って居ます。賛否両論ですが、新しい物は、最初は中々受け入れられない物です。法人の事業もそうだったように。

 夜勤明けで、ショートの方を豊橋の事業所まで送らせて頂き、今日の仕事は終わり、2時間寝させていただき、事務仕事やチャリィティー出品の作品作りもあるのですが、サリヴァンを3時間読み、ギターを2時間ひかせて頂き、リフレッシュの日にさせて頂きました。
 みっちり仕事だけしていても、新しいひらめきは生まれません!
夕食を頂きながら親分がDMMで借りた『マッスル・ショールズ』を見させていただきました。
以下、映画の予告編のストーリーから

アメリカン・ネイティヴが<歌う川>と呼んだアラバマ州テネシー川のほとりにあるマッスル・ショールズ。人口8000人の小さな町、森の中にある小さな町のフェイム・スタジオ、マッスル・ショールズ・スタジオの2つのスタジオから生み出された音楽は、歴史に残る重要な名曲を輩出してきた。マッスル・ショールズは、政治や地理的な影響を受けずに創造性豊かな音楽活動ができる場所であり、白人・黒人という肌の色に関係なくミュージシャンが才能を発揮できた場所でもあった。
マッスル・ショールズ出身のリック・ホールは地元の金属加工工場に勤める青年だった。貧しい家庭に生まれた彼は、友人と2人で田舎の薬局の2階に小さな音楽スタジオを作る。そこでの活動はすぐに終わりを迎えるが、やがて1959年にマッスル・ショールズでフェイム・スタジオを設立する。地元の白人のミュージシャンを集めて作ったリズムセクションを背景に同じく地元の黒人歌手アーサー・アレクサンダーを起用して録音した「ユー・ベター・ムーヴ・オン」がヒット。これによりフェイムスタジオの名声はアメリカだけでなくイギリスにも轟くことになる。のちに“スワンパーズ”とよばれるこのリズムセクションがつむぐメロディを武器に、リック・ホールとフェイムスタジオは1960年代のソウルミュージックシーンを席巻していく。全米で公民権運動が起こりながらも南部には人種差別がまだまだ根強く残るその時代に、政治や肌の色に関係なく数々のソウルの名曲を生み出していく。
パーシー・スレッジの名曲「男が女を愛する時」、名プロデューサーのジェリー・ウェクスラーと組んでからは、ウィルソン・ピケット「ダンス天国」「ムスタング・サリー」、アレサ・フランクリン「貴方だけを愛して」、チェス・レコードからはエッタ・ジェイムズの「テル・ママ」など次々とヒット曲を飛ばしていく。
のちには名ギタリストのデュアン・オールマンもフェイムの一員となり、彼のアイデアとギターでウィルソンに全く新しい「ヘイ・ジュード」が生まれた。
スワンパーズは、その後フェイム・スタジオを離れ、ジェリー・ウェクスラーと直接契約。リック・ホールのたもとをわかつことになり、自らのスタジオであるマッスル・ショールズ・スタジオを設立。しばらくはヒット曲に恵まれなかったがそんな時、イギリスからザ・ローリング・ストーンズがやってくる。「ユー・ガッタ・ムーヴ」「ワイルド・ホース」「ブラウン・シュガー」など数日のうちに次々と歌ができていく。多忙ゆえに自家用ヘリで移動しなければならないほど、曲作りにのめり込んでいた。その後もジミー・クリフスティーヴ・ウィンウッド、ボブデュラン、ポール・サイモンサイモン&ガーファンクルなど70年代のヒットチャートを常に沸かせた。
謙虚で情熱的なバンドの姿勢を保ちながら、完璧主義を貫き、成功を追い続けたザ・スワンパーズ。数々のヒット曲の誕生に携わり、アメリカを代表する名曲となった『スウィート・ホーム・アラバマ』でも<マッスル・ショールズにはザ・スワンパーズがいる>と歌われている。
フェイム・スタジオでアリシア・キーズが年老いたスワンパーズのメンバーとともにボブ・デュラン名曲「Pressing on」を歌い上げる。そしてそこにはじっと見つめるリック・ホールの姿もあった。

こちらがそのアリシア・キーズの演奏です!アリシア・キーズは勿論の事、バックが渋くてカッコイイですね!
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=oa3wUtCTw_s

パーシー・スレッジウィルソン・ピケットアレサ・フランクリン、エッタ・ジェイムズは青春時代に聞きまくっていたアーティスト、デュアン・オールマンのスライドに憧れながらも、近づけなかった事や、ビートルズストーンズは嫌いでしたが、唯一「ブラウンシュガー」だけは大好きで、ライブでもやらせていただいた事があり、思い入れがありましたが、それがこのスタジオレコーディングされていたとは知りませんでした。
昼間にブルースブラザースのオープニングテーマ(ギターを弾くときに必ず弾きます)ジミヘンやエアロスミスを弾いた余韻も手伝い、しばし南部に思いを馳せてみます!