うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

冷麺と青春期後期・自己尊敬と人間的成熟より


 今日のどろんこ村ランチは、冷麺でした!
食材は全て自家製で、麺は全粒粉、卵・ハム(豚肉)きゅうりと安心安全な昼食を頂きました。勿論シフォンケーキもついています!
 8月はどろんこ村さんが忙しいので、昼食はお休みになります。
お休みの間は皆さんと、すろーじゃむで何か作ったり、外食したり、買い物に行ったりしましょう!



暑かったですが、すろー畑の除草をし、台風に備えてトウモロコシの根元に土を被せました。杭を打って紐で保護しようとも考えましたが、費用対効果を考え、止めました(笑)


 Kさんの指編みをバッグの持ち手や装飾に使いたいと女性職員達が言っていたので、Kさんが頑張って編んで下さいました。
どんなバッグが出来るのでしょうか? 楽しみです!


 そういえば昨日、三島大社で、付き添いをさせて頂いたかたが、福太郎餅をごちそうして下さりました!
 赤福餅に似ていますが、こちらはヨモギです!
さすが静岡県!お餅もお茶も本当に美味しかったです!


 今日は休日でしたが、お中元を持って行ったり、利用者さんの書類について市役所に行ったりしようと思って居ましたが、体調不良の方が出て、急遽現場に入ることになりましたが、現場が本当に好きなので(利用者さんかな?)全然苦になりません。

 夕方の入浴介助までの時間、サリヴァンを読ませて頂きました。
脱線?寄り道?ばかりしているので、時間がかかりましたが、もう少しで一冊(やっと.....)読み終わります(笑)




『精神医学は対人関係論である』サリヴァン
第16章 青春期後期・自己尊敬と人間的成熟より

 これまでに私が述べたこと全体からおわかりになると思うが、他者を過不足なく尊敬するには自己尊敬が必要である。これは特別の推理力を働かせて推論するに及ぶまい。 自分が直接知っていない人を尊敬する者は沢山いるが、これは除外する。自分が直接知っていない人しか尊敬する人がいない者は、自分自身を尊敬していないという方が安全であろう。自己尊敬がきわめて高い人とは、自分の人生体験から自分が他者の間で他者とともに生きる能力に秀でていることを発見し、さらに証拠立てて大いに自己に満足を覚えれる人であるが、こういう人なら自分以外の人の功績に尊敬を感じても格別自分が損をした感じは持たない。 
 他者をおとしめることは不適切不充分な『自己組織』を支える支柱にはなるが、ひ弱な支柱である。私はかつてこれを「自分がもぐら塚ならば山など誓って存在させぬ」(卑小なものは自分より優れたものを認めたくない意味か)という原則としてまとめたことがある。 
 他者のおとしめ方をみれば本人の自己尊敬のあり方を読み尽くすことができる。
いろいろやり方があろう。おとしめは二つの要素から造られている。自己軽蔑と、多数の「あれでもないこれでもない」操作である
 自分の「気前よさ」のために自己を大いに尊敬している人がいるとしよう。気前のよさはいつでも非常に世間通用の徳性である。この人が、世間には気前のよくない、貪欲な、いやしい人が無数にいることに気づく(のは当たり前だろう)(しかし一般的に)他人にきびしい人、仲間のある欠点をゆるせない人は、実はそれが自分の隠れた悪徳であり、だからこそ特定の欠点に非常に敏感であるのが世の常である。これは有史以来周知のことだと思う。(その反対に)比較的歪みの少ない人格発展を経てきた人、あるいは歪みが治癒した人は、そのおかげで自己尊敬の増大に制約がない。こういう人は、ある分野で他の人が自分よりぐんと勝れていたことに気づいても、そのために損をしたとか自分が貧しくなったとは思わず、不安は兆さない。

 そんな人間になってみたいですね!
さらに、
成熟した人であろうと重い病人であろうと、不安や恐怖に立ち入る隙がないほど防水加工された人間はいない。人生を特徴づけている欲求のどれをとっても、それに対して防水加工された人間もいない。しかし、成熟度が増大するほど、生きることを不安が邪魔することは少なくなるだろうし、したがって自分自身に対する有害性も自分以外の人に対する有害性も少なくなるだろう。成熟した人は現代社会の生の複雑さとかけ離れたものに退屈しないであろう。

 サリヴァン、頑張って読ませて頂きます!