うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

療育キャンプとサリヴァン・青春期後期より



 今年の愛知県知的障害者育成会の療育キャンプは、『富士山・信仰の対象と芸術の源泉』をめぐる〜霊峰富士山・富士サファリパーク・その他〜でした。
 まずは、富士サファリパーク!自分は初めてでしたので、ワクワクしながら見せて頂き、その日から泳ぐゾウが見える装置を設置したとの事で皆さんの期待がMAXでしたが、泳ぐゾウは見られず、装置だけがそこにありました.....。
 ライオンは思いのほか数が居て、迫力がありました!

 夜は、入浴・夕食が終わった後、キャンプファイヤー(今年も室内でしたが)で唄ったり、


 踊ったり!

 我がB-Sproutの欽ちゃんは、前日、白鳳関と会った疲れをものともせず!全開で恰好よかったです!

 翌朝は6時半からラジオ体操!起きれなかった方も居られましたが、出席された皆さんは、元気に体操されていました。

 皆さんお待ちかねの朝食!
前にいたお母さんのおひとりが、少量ずつ全品制覇すると言われていたので、一緒に挑戦させて頂きましたが、途中で断念しました(笑)
 他のお母さんは、腹八分目と分かっていてもバイキングだと、ついつい食べてしまうと笑っておられました。
 お皿に盛ったものは、勿論全量摂取!
強い味方『ロトリガ』さんに吸収しないようにお願いしながら頂きました(笑)

 途中、規模が小さいながら、水平コルドンのブドウ畑がありました。

 最後は、三島大社
歴史を感じる厳かな雰囲気の中、皆さん真剣にお祈りされていました。
 参加者は総数169名と言われていたような気がします.....。
自信がなくなりました(笑)

 今年も素敵な時間を頂いたことに感謝しています。
いつも仕事で行かさせて頂いていて、付き添いの方は、介助の必要がない方なので入浴や排泄介助は、他の方々をさせて頂いている関係上、つかせて頂いておられる方にも、自分にもボランティア代を頂きました(何度もお断りをさせて頂きましたが.....)が、親分に報告すると!
法人に寄付!と即答でした(笑)



『精神医学は対人関係論である』サリヴァン

第16章 青春期後期・「自己」および他者の不適切不充分な擬人存在化より 
 さて、ここで脇道に逸れて、不安を「つかまえる」とか不安に「直面する」とかいう表現の私の用法から意味のいい加減さを影まで拭い去っておきたい。意志という謎めかしい力に頼っても精神医療で得るところはほとんどないと私は思う。発達における「意志の臆説」の悪影響については前にも述べたと思う。 人々が一般に自分の意志を非常に誇りにし、意志をうるさく論じる社会においては、精神科医は気を付けて自分の使う言葉をいい加減でないようにと心がけ、思考から意志についての思い込みをすっかり洗い流すようにしなさい。そうすれば、患者をもっとよく理解できるようになるだろうし、多分患者にいい影響を与えることになるだろう。
 だから、私が「不安への直面」ということばを使っても、精神科医は患者に「しっかりして意志をふりしぼって不安の脅威にたやすく屈しないようにしなさい」と命じろという意味では全然ない。
 このような時にも精神科医にできることがあるとすれば、患者の中に近未来の正しい予見を育てるべきである。
 そうなれば、些細な不安から逃げ回るのがバカらしくてできなくなるだろう。不安の出現はどういう意味でも意志とは関係がない。神話めいた意志でも現実的な意志でも同じことである。不安と連合しているのは、『自己組織』の中に取り込まれてその一部となった体験であり、また『自己組織』と関連した不安の増大の予見である。 
 精神科医の課題は患者の前により広い文脈を広げてみせること(患者の問題をより広い関係性の中に置くこと)である。これに成功すれば、患者は、不安があろうとなかろうと、現実の生き方は不充分であり、物事をよいほうに変えないから自分のためにならないものだと納得する。こうなれば、不安があっても(他に特別な条件がなければ)、『自己組織』の変化が可能となる。


 サリヴァンもしつこく頑張って読ませて頂いています。
凄く勉強になっています。