うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

カフカの階段と、雨の日も良いもんだ!

 サリヴァンは前青春期を終わり、青春期に入りましたが、先日の『カフカ父への手紙』で、 生田武志さん(野宿者ネットワーク代表)の『カフカの階段について』を思い出しましたので(寄り道ばかりしていますが.....)アップさせて頂きます。今日は久しぶりに歯科医に行き、ビッグイシューを見させていただいたのも影響しています。
一言に福祉と言っても色々あり、それぞれの分野で本当に頑張っておられる方々の言葉は本当に重みがあります。

以下、大阪府のサイトhttp://www.pref.osaka.lg.jp/img/header_title.jpgからの引用です。


人権学習シリーズvol.7 みえない力 誰の責任?「不公平なイスとりゲーム」から考えよう/コラム カフカの階段について


 ぼくは、野宿者支援の活動をしています。その中で、多くの人から「ホームレスは甘えているだけだ」「死ぬ気で頑張れば、仕事なんか見つかる」と繰り返し言われてきました。   野宿になっている人の多くは、ごく普通の人たちです(ただし、私が出会った人たちや、他の団体が相談・調査した結果をみると、知的障がいや精神障がい、被虐待経験者、そして在日や沖縄、被差別部落出身の人たちの比率は高いですが)。ただ、いったん野宿などの極度の貧困状態になると、元の生活に戻ることが「絶望的なほど難しい」「事実上、自力では不可能」ことがわかってきました。この難しさ、理不尽さを目に見える形で示すために、この「カフカの階段」を考えました。
カフカの階段について
「たとえてみると、ここに2 人の男がいて、一人は低い階段を5 段ゆっくり昇っていくのに、別の男は1 段だけ、しかし少なくとも彼自身にとっては先の5 段を合わせたのと同じ高さを、一気によじあがろうとしているようなものです。 先の男は、その5 段ばかりか、さらに100段、1000 段と着実に昇りつめていくでしょう。そして振幅の大きい、きわめて多難な人生を実現することでしょう。しかしその間に昇った階段の一つ一つは、彼にとってはたいしたことではない。ところがもう一人の男にとっては、あの1 段は、険しい、全力を尽くしても登り切ることのできない階段であり、それを乗り越えられないことはもちろん、そもそもそれに取っつくことさえ不可能なのです。意義の度合いがまるでちがうのです。」 ──カフカ「父への手紙」。


◎機能していないセーフティーネット
   貧困になっていくプロセスは、階段を一つ一つ降りてゆくようなものです。しかし、野宿になってしまうと、そこから元の高さに戻ろうとすると、1 段つまり「壁」になっていて、上ることがほとんど不可能です。転がり落ちるのを防ぐ「セーフティネット」はありますが、吹き出しに書いているように、日本ではそれがあまり機能していません。   よく、「ホームレスはやる気なんかないんだから支援なんかしたってムダだ」と言う人がいますが、こういう「壁」の状態が何年も続いたら、やる気がなくなっても無理はないだろうと思います。 

◎社会のあり方を考える
 それではどうすればいいのでしょうか? 「壁」に段差を入れて「階段」にすればいいはずです。つまり、「お金がないので、就職しても一月先の給料日まで生活できない」のだったら、「お金を貸しましょう、あとで返してね」。あるいは「生活保護を受けて、アパートと生活費を確保してから仕事を探しましょう」。福祉事務所が水際作戦をしているのなら、「ぼくたちや弁護士、司法書士が役所に一緒に行きましょう」。アパートに入るときなどに、保証人や緊急連絡先が必要なら、ぼくたちがなることもできます。つまり、このたとえの狙いの一つは、貧困・野宿問題の解決のためには、「段差を作る」ことが、つまり「衣・食・住」にわたる行政や市民の援助が必要だ、ということです。   ところで、階段の上で「何をやっているのかな?」とあります。普通の答えは、「仕事と家のある元の生活」ですが、ここでの答えは「いす取りゲームが行われている」というものです。つまり、一人階段を上がればその代わりに一人が落ちる、つまり失業するんだとしたら、こうやって階段を作ってあがっても、本質的な解決にならないのかもしれません。もちろん、現実には野宿者が一人就職したからといって他の一人が失業するわけではありません。けれども、現在300 万人の失業者がただちにどこかに就職できるような状況は全くないのです。
だとすれば、「いす取りゲーム」の規則そのものを変える、ということが考えられます。「階段を作る」という一人ひとりへの支援と同時に、「いすを分け合う」(=ワークシェアリング)、「いすを増やす」(=社会的起業)など、社会にある「ゲームの規則」そのものを変えることが必要なのだと思います。



今日はよく降りましたね!


 すろーじゃむ畑のサツマイモとトウモロコシは、一雨ごとに大きくなって行きますし、ブドウも今の所、病気にならずに、順調に伸びています。
 晴れの日に除草しないといけませんね!
植物の根は、乾燥と言うストレスを受けることによって、伸びると言われています。人間も失敗や屈辱と言うストレスを受ける事によって成長していくものだと、この年になってやっと分かり始めて来ました。
 雨の日も良いもんですね!

 自宅近辺では、カタツムリが沢山いて、少し気持ち悪いくらいです(笑)子供のころの通学路だった路地裏はこの時期、アジサイが沢山咲いていて、カタツムリも沢山いました。
 その路地裏では、ガラス職人さん達が、長い鉄棒の先に付いた真っ赤になったガラスを吹きながら回していた光景が、この時期になると鮮明に思い出されます。