うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アレクサンダーテクニークと鎮魂の舞楽に見る能の起源

スペクテイター〈32号〉 ボディトリップがやっと届きました!
事務仕事と、送迎の間を縫って少し読ませて頂きましたが、アレクサンダーテクニークに非常に興味がわき、是非、体験させて頂きたいと思いました。二十数年来の肩こりが治るでしょうか?


サリヴァン『精神医学は対人関係論である』は、ググりまっくて第7章まで読み終え、第8章に入るところですが、読んでいたら、不意に高校生の時にいやいや読んだ(夏休みの自由課題の読書感想文の為、自分の興味のあるものを選んだつもりが、難しすぎました.....)梅原猛著『隠された十字架』の一文が思い出されましたので、先日、図書館で借りて来ました。
高校生の時は凄く時間がかかりましたが、今読むとあっと言う間に読み終えていました。無駄に年を重ねてはいなかったのですね(笑)

鎮魂の舞楽に見る能の起源
聖霊会の解明を終わるにあったて、一つだけいっておきたい。従来、私は舞楽というものがいったいどういうのもであり、日本の演劇史においてどういう意味をもつか、はっきり分からなかった。
能は舞楽から発達したと言われるが、はたしていかに能が舞楽から発達したのか、学界にも定説はない。
この聖霊会の意味を理解することによって、私ははじめてその関係の深さを理解することが出来た。

舞楽・蘇莫者は、世阿弥によって大成された能と同じ構造をもっているのである。能において、シテは多くは怨霊、ワキは旅の僧である。ワキは怨霊の精神の代理者であると共に、怨霊の世界の鎮魂者である。何気なく怨霊の依代の残っている土地を訪ねたワキは、はからずもそこで、生者の仮面をかぶった怨霊に出くわす。そして問い詰めていくうちに、怨霊は姿を現し、その怨みをのべ、そして荒れ狂う心の苦しみを語るのである。ワキはその間、じっと舞台の片隅でシテの狂乱を見ているが、彼は単なる狂乱の観察者ではなく同時に狂乱の鎮魂者であり、やがてワキに鎮魂されたシテは、舞台を降りるのである。 この世阿弥の能の精神はどこからくるのか。世阿弥という人間がその内面に深くもった怨恨の精神から来るのか。それとも、室町時代という時代が持った暗い運命感から来るのか。今にしてその由来が分かるのである。由来は古く、少なくとも舞楽までさかのぼりうるのである。
 世阿弥の能は、社寺を舞台にして行われた。なぜ社寺において能が必要であったか。それはやはり鎮魂の儀式の為である。世阿弥は、実は職業的な鎮魂者であったのである
〰中略〰 舞楽はたしかに外来のものである。しかしそれが日本に定着するとき、どのようにして日本化が行われたのか。それを明らかにする一つの視点を、舞楽・蘇莫者は提供しているのである。(隠された十字架・法隆寺論:梅原猛
四天王寺聖霊会をそういえば見たことがありませんでした。幼少時、祖母に連れられて良くお参りはさせて頂きましたが。
来年の4月22日には是非とも行きたいです。


 ひーひー王子と登る山には、相阿弥や善阿弥が作った庭に匹敵するような、自然の風景があります。そこまで行くには、結構急な斜面を登らないといけませんが、その風景を見ると息も気分も直ぐに落ち着くような気がします。
 夜勤の日で、用事がない日にまた登りたいと思って居ます。