うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

秋とナレッジワーカー



 先週は、アブラゼミツクツクボウシが、競い合って鳴いていましたが今週は、一段と朝夕涼しくなったので、今日、蝉は鳴いているのでしょうか?


萩も本格的に咲きはじめていました。
 本格的な秋の到来ですね!

 来年度に向け、先週も、昨日も話し合いがありました。
先の事は、分かりませんが、きちんとした計画と理念を持ち、少しずつ着実に進めて行きたいと思っています。
 どろんこ村の小笠原さん御夫婦の『学び』と言う言葉の中に沢山の学びとヒントがある様に感じる事が出来ています。

 こんなニュースも昨日、偶然見ました。以下PRESIDENT Onlineより

 できる人の共通点は「旺盛な好奇心」どんな仕事であれ、仕事ができる人に共通するのは「好奇心」が旺盛なことである。自分の身の回りのことからいろいろなことを感じたり、小さな変化に気づく。そして、そこから発想を膨らませたり、新たなアイデアを生み出すことに長けている。スマホや漫画に逃げ込んでいたのでは、人間の感性は錆ついてしまう。
  ピーター・ドラッカーは21世紀は「ナレッジワーカー」(知識労働者)の時代だと語った。労働力を提供するだけの単純労働者の価値は低下し、高度に専門化された「知識」によって企業や社会に貢献する労働者のみが成功する。
 ドラッカーはナレッジワーカーの例としてコンサルタントや高度金融工学を駆使するディーラーなどを挙げたが、ナレッジワーカーはそうした一部のプロフェッショナルだけに限ったことではない。一般企業においても、ナレッジワーカーの重要性はますます高まっている。いや、ナレッジワーカーでなければ生き残れない時代になっているのだ。
ナレッジワーカーの概念は、従来のホワイトカラーVSブルーカラーという分類を無意味化させる。大卒・大学院卒であっても、知的生産物を生み出さない社員の価値は低い。一方、高卒の現場ワーカーであっても、知恵やアイデアによって知的生産物を生み出すことができれば価値あるナレッジワーカーである。持って生まれた才能で、ユニークなアイデアを次々に生み出す人も稀にはいる。しかし、多くの凡人は日頃の鍛錬なしにはナレッジワーカーにはなりえない。
 その第一歩は、感じる力、すなわち「感知力」を磨くことである。ナレッジワーカーとは新たな知恵やアイデアを生み出すことができる人材のことである。そして、知恵やアイデアの源泉は、人間の持つ感じる力である。
 世界初の編み機を次々と生み出す島精機製作所では、新入社員採用の面接時に「ちょっと立って、くるりとひと回りしてください」とお願いし、「何か感じましたか?」と尋ねるという。応募者の感知力を試しているのだ。ある雑誌の対談でお会いした際、島正博社長はこう教えてくれた。「ひと回りする1秒の間に何も感じなかったらゼロ。ゼロに何を掛けてもゼロ。たとえ1秒でも何かを感じる感性がほしい。感じなければ、一生何もなくて終わってしまう」。「五感で感じたことが、第6感(閃き)にゆきつく」と島社長は強調する。
それでは、どうすれば感知力を磨くことができるのか?
 何より大切なのは、日常生活において「観察」する癖を身につけることだ。
 観察とは意識して見る、すなわち「観る」ということである。常にアンテナを高くして、周りの事象や変化に目を凝らす。周囲の事象や変化に気づくことが、「感じる」ということである。
 何かを感じれば、そこから頭が回り始める。なぜこうした事象が起きるのか、なぜ変化しているのか。何も感じなければ、問題意識は生まれず、思考は始まらない。
 私が若者たちと出会った定食屋でも何かを感じることはできる。
 「場末の定食屋なのにすごい人気だ」「日替わり定食を頼んでいる人が多い」「無骨そうな親父さんと愛想のいいおかみさんの2人だけで切り盛りしている」……。
 何かを感じ、気づくことが起点となり、問題意識が生まれ、疑問を持ったり、「なぜだろう?」と考え始める。そして、それが自分にとっての新たな「発見」となり、「発想の芽」となる。
観察対象を変えることによって、新たな刺激を得ることもできる。私はできるだけ同じ道を通らないようにしている。いつも降りる駅のひとつ手前やひとつ先で降りて、歩くこともよくある。電車ではなく、バスに乗ることもある。
 こうした行動は、異なる環境に身を置くことで、異なる観察対象と出会い、異なる刺激を得ることが目的である。アンテナを高くすることも大事だが、対象物がいつも同じでは、同じものしか知覚できない。「日常の非日常化」はナレッジワーカーになるためのとても効果的な方法論のひとつである。
 デジタル全盛の時代だからこそ、アナログが武器になる。時にスマホや漫画を置き、街に出て、観察してみよう。街には感知力を鍛えるための材料がたくさん転がっている。(早稲田大学ビジネススクール教授 ローランド・ベルガー会長 遠藤 功)(PRESIDENT Online)


 五感を使わないと、何も生まれて来ないと、常々思っていますし、改めて、福祉の現場でもそう感じています。
 福祉の現場も、アートも農業も音楽も全ての仕事、作業は同じだと感じました。

 「日常の非日常化」こそ、自分が創作活動に於いて大事にしていること『帰納』であると思いながら、福祉の現場でもその思いをスライドさせて働かせて頂いています。