うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

本を借りましたと、安楽死の薬を自分に注射した獣医 犬殺処分耐えられずのニュースと、《成人患者における自閉的策略という生存機能について》(自閉症スペクトラムの臨床より)


親分が借りてほしい本があるので、図書館で借りて来てくれと言って来たので、図書館に行って来ましたが、お目当ての本は貸し出し中でなく(自分が借りたい本も貸出し中でした)、中井久夫先生の本が新刊の所にあったので借りて来ました。内容は著作集的な感じです。
 後は楽譜(サティは年に1回は借りて、ジムノペディの練習を(ギター用に適当なアレンジをして)やっています。やらないと直ぐに忘れてしまいます。尾崎豊は、イントロ等の確認の為に借りました。
 ブルースのは、実際にアメリカまで行く時間もお金もないので.......。


 図書館の前に沢山の花がありました。

 さすが花の街ですね!
ここだけ春でした!

 もう少ししたら夜勤に行って来ますが、下記は昨夜、打ち込んでいた(一部は朝)箇所のアップです。
お昼にマックで、昨日アップさせて頂いた赤字のウィニコットの箇所を親分に読んでもらい、支援について話をしましたが、専門用語は使うなとか言われても(笑)抑うつポジションは反省するところだとか言うと何か違うような合っている様な.....。自分が本当に理解していないからでしょうか?とも思ってしまいました。
 固着点(その人に嫌な何かがあった時?)を探し、そこの位置まで退行していたなら、その位置に戻って、それが感覚的に柔らかい、母性の欠如なら母性で、感覚的に硬い、父性の欠如なら父性でコンテインコンテインドの関係を構築して行けばいいのでは?との結論が?でました(笑)答えは利用者さん一人ひとりの分だけありますので、全て考えていかないといけませんね。
 



 昨日、帰宅して日本語のBBCのニュースを見ていたら下記のニュースがありました。
今朝はヤフーのニュースにも出ていました。⇒http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170207-38851315-bbc-int
 いろいろ考えされられました。
自分の狭い考えを、躊躇なく平気でSNS等で世界に発信できる?恐ろしさに恐怖さえ感じていたところなので余計に胸に浸みたのでしょうか?

 現在読ませて頂いている『自閉症スペクトラムの臨床』を書かれた人、もH.S.サリヴァンも、ウィニコットも、自己否定が出来る人だったのでしょうか?
 患者さんを疑うより、まず自分の能力(考え方や学習してきた事)を疑えと言ってくれているように、自分には感じられています。

 安楽死の薬を自分に注射した獣医 犬殺処分耐えられず』
BBC】2017年02月07日 15:45 公開
 台湾では今月、保護施設に収容された犬や猫の殺処分を廃止する新法が施行された。今から1年近く前、殺される動物たちが見るに忍びないと、施設で働いていた女性獣医が自殺し、台湾に衝撃が広がっていた。BBCのシンディー・スイ記者が取材した。〜
〜2016年5月5日、簡さんは自らの命を絶った。動物たちを安楽死させる同じ薬品を使って。迷い犬がどんな目に遭うか、台湾の人々に理解してもらいたいという書き残して。

彼女の死が報じられると、台湾には怒りと当惑が溢れた。若い女性の命がなぜこのような形で終わってしまったのか、悲劇を大勢が理解しようとした。

一方で、捨て犬や捨て猫の現場で奮闘する職員が、なぜこれほどのプレッシャーを感じなくてはならないのか問う声もあった。

簡さんは地元CITテレビからインタビューを受けた際、初めて殺処分に立ち会った時のことを語っていた。

「家に帰って一晩泣き明かしました」

しかし、メディアに出たことがきっかけで、簡さんに対する個人攻撃が始まった。簡さんが2年間で700匹を殺処分したと報じられると、一部の人は簡さんを「美しき虐殺者」と呼んだ。

保護施設の職員は、できる限り殺処分などしたくない。しかし簡さんたちは、引き取り手がなく、老いていたり、里親が見つかりにくい動物たちが、過密状態の施設で病気にかかる危険にさらされるより、安楽死の方が良い選択肢だと考えていた。

簡さんの同僚、高瑜婕さんはこう話す。「彼女(簡さん)のことを肉屋と呼ぶ人がいました。(中略)私たちは怒鳴りつけられることも多く、地獄に落ちるだろうと言う人もいる。私たちが喜んで殺しているとか、残酷だとか。だけど、犬は今でも捨てられています。犬が狂暴だとか、逆に弱すぎるとか、鳴き声がうるさい、ちゃんと吠えないなど、いろんな理由が付けられて」。

高い殺処分率

台湾は捨て犬の問題で2つの大きな課題を抱えている。捨てられるペットの数と野犬の避妊措置だ。

実際のところ、10年前に比べると状況は改善した。国民の意識が向上し、保護施設の関係者や活動家らが、捨て犬を思いとどまらせ、里親を呼びかけるなどしたからだ。

しかし、殺処分される動物の数は依然として多く、保護施設では資金や人手が不足している。業務も重労働で長時間働かなくてはならない。一部の保護施設では収容された動物の半数が殺処分される。

2015年には約1万900匹が処分された。また病気などが理由で約8600匹が死亡した。

簡さんはCTIのインタビューで、殺処分の手順を説明している。

「まず散歩に連れて行き、軽く食べさせて話しかけます。それから『慈悲の部屋』に入れます」

「台の上に乗せると、とても怖がって、体じゅうが震えているんです。だけど薬を注射すると3秒から5秒で震えが止まる。実際とても悲しいことです」

職員たちには心理カウンセリングが提供されていない。台湾では、このような保護施設だけでなく、心の面での支援があるのはほぼ皆無だ。

桃園の保護施設は国内でも最も安楽死率させる率が低く、里親が見つかる比率は最も高かった。〜





《第12章 成人患者における自閉的策略という生存機能について》
  ジュディス・ミトラーニ
 〜タスティンはつい最近の著作で、子どもの自閉的病理と成人神経症患者の分析中に見られるそういった心の自閉的状態との間の重要な結びつきについて論じた。彼女の観察力や内省力によって、患者が生き残る目的のために創り出した特殊化した防衛形式ばかりではなく、私たち1人ひとりの中に消えずに活動している人間の最も根本的な恐怖と不安のいくつかを、ありありと記述できた。
 タスティンは彼女の著作を通して、2人であることの耐え難い恐怖の特徴である切断に感覚、溢れ落ちる感覚、溶解し消散する感覚を記述している。
 タスティン(Tustin,1986,1990)は、自閉状態というものが、耐え難い「2人であることの気づきという苦悶」や、そのような気づきが自分の連続性と統合性の感覚に突きつける脅威を締め出す働きをする、彼女が「感覚−優位妄想」と呼ぶものでできた防衛的殻として、いかに作用するのかを理解する手助けをしてくれる。「妄想」という用語を、彼女はある象徴過程や思考を含意する一般的な精神医学の意味ではなく、シーガル(Segal,1957)が「象徴等価」と呼んだ、非常に具体的な感覚のレベルで用いた。こうした妄想は物自体であり、表象と混同すべきではない。
 タスティンはまた、この防壁は、セラピストとの関係性の治療効果にとって、いかに障害として作用するかも論証している。意識の自閉状態という萌芽的領域に関する彼女の先駆的研究は、そうした患者に関して私たちの研究がこれまで停止してしまっていた状態を、精神分析的セラピストが前進させることを可能にした。彼女は、患者の最早期の経験という、かつて禁じられた危険な領域に、私たちが入れるかもしれない鍵を、与えてくれた。
 彼女は、神経症の成人は自閉症児とかなり共通しているところがあり、双方が人としての存在に不確かさという感覚を共有している、という自らの観察に注目を集めた。こうした成人では、硬化させられたりカプセル化されたりして発達が不完全な領域を巧みに回避することで、心の成長が生じる。ある患者はこう説明した。「私にはこの穴があります――内部深くの空虚な箇所――そこに何もないと分かるのをただ恐れているだけかもしれません」。彼は穴を「不満(chip on his shoulder)」、あるいは硬化した冷笑的態度を、彼の父親に対する思いを指す「親にそっくりな子(chip off the old block)」として理解するに至った。ある日「父は私を守ってくれた」と患者が言った。「でも私がボールを上手く投げられなかった時に、彼はどう私に対応したらよいかが分からなかったみたいです。」彼は私を女々しいと思った――私がボールを女の子のように投げたからです。」おそらくこの男性は、次第に気づいてきたことを、私に伝えていたのかもしれない。柔らかく優しい彼の経験の部分を、硬い「パパの切れ端」で覆って父親のように守ることができるということへの気づき、けれども頭に柔らかい箇所、すぐに傷ついてしまう柔らかい皮膚を持つ赤ん坊−彼と、そして彼がママ−私に抱いた優しく愛情のある感情に、彼は怯え、どう対処したらいいか、どう扱ったらいいか分からないということへの気づきを。
 この患者が示したように、被分析者のなかには、そこで発達が損なわれてしまったこういう原初的状態に言語表現を与えようと、分析で勇敢に取り組む人がいる。彼らの症状や行動というものは、たいていは身体の経験に表現を与えて恐怖を伝達する勇気のある試みなので、私たちは解釈作業を通して、それらに意味を添えることができるのかもしれない。多くの私の患者は、分析時間の最後や週末や休暇前後といった分析的枠組みで生じる無数の分離に誘発されて、転移状況において恐怖の状態を再−経験するので、それらをコミュニケーションする気になるのである。
 患者と私自身の経験から、タスティンの理解のモデルは、私が最初に可能と想像していたよりもはるかに、成人の精神分析的治療に応用できることに気づかされた。自閉−様形態、硬い対象、それに妄想が、一次対象の破局的喪失や痛切な渇望というメンタライズできない経験をコンテインするために機能する様は、下記の臨床的ビネットで例証されている。〜