うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【精神病患者の精神分析を行っていたKlein とその同僚たちは、もっとも奇怪な空想やばかげた造語ですら翻訳されうるし、人間的で対人関係的な意味をもつことを発見しました。】


 今日も、日中が賑やかでしたので、事務仕事の予定を変更して、現場に入らせていただきました!
時間差があったり、職員配置が365日、24時間稼動の事業なので、入れ替わりがあるので、職員配置が薄い現場に入らせて頂く様にさせていただきました。すろーじゃむで、色んなことをしたり、大きなお風呂にゆっくり入ったり、大きなお風呂は本当に人気があり、入りたいといってくださる方が少しずつですが、増えてきているので、親分が頑張って作った甲斐が、やっと出てきましたね!


 庭に咲いていた花を投げ入れたりしました。
あっという間に時間が過ぎて行きました。


 今日は、大きく分けると3つの流れがありました。しっかりした職員が日中と夜勤に配置できていたので、心配はなかったですが、職員の交代の時間の前には重なるように入って、流れを維持できるようにさせていただきました。
 池之原の散歩は雨が降ってきたので、できませんでしたが、お薄はいただけました!

 皆さんのご協力のお陰で、何事もなく一日が終えられたこと、感謝しています。



 今朝も早目に出て、マックでコーヒーを頂いて、本を読ませて頂きましたが、イベントの日と、システムの障害があったようで、ポイントがつけられないとレジで店員さんが、お客さんたちに必死で話されていました。何か、平気でネットバンクが便利だとか、SNSだとか言いますが、システムに障害が出たら、全て利用できないし、それなりのリスクもあるので、自分(個人的には)は利用する気がありません。
 大分以前に、山下達郎先生がアカペラをやっていた時に、電気が使えなかったら、電気を使わない手段でしか表現ができないので、アカペラに挑戦した(記憶が曖昧なので、意味を取り違っていたらすみません....)とFMで聞いた覚えがありました。
 個人的には、エレキの人なので、アコースティックにも力をいれないといけないのかな?とも思ってしまう、今日この頃です(笑)
関係なかったですね(笑)

 今朝、現場に入ったら、加藤潔先生の本を持っている職員がいて、貸してほしいとのこと! 是非読んで頂きたい本でしたので、嬉しかったです! 加藤先生に報告せなあかん!

 今日も全てアップしたい個所でしたが、きりがないのでこれくらいにさせていただきました。
一つずつ大切に心に留めておきたい個所でした。


落下
しかし、私にとって、耐えがたく、また直面するのがしんどかったのは、彼のもつ空虚さでした。またそれは、もっとも理解するのがつらいことでした。精神病院の慢性病棟を除けば、誰かの目に確かに、そして子どもの目には一度も、それほどの空虚さを見たことがありませんでした。精神的に病む人々を援助できるだろうということ、そして究極的にはつながることができるだろうということに、私はある種の信頼をもっていました。また、私にはMelanie Klein の理論の助けもありました。その理論では、私たちは生得的に社会的存在であり、人間とは関係のない世界や宇宙に対する関心ですら、その基礎を人間的なもの、つまり生まれたての赤ん坊と母親との間の親密で強力な早期関係に置いているということが明言されていました。精神病患者の精神分析を行っていたKlein とその同僚たちは、もっとも奇怪な空想やばかげた造語ですら翻訳されうるし、人間的で対人関係的な意味をもつことを発見しました。その意味は、いつも肯定的なものとは限りませんでした。破壊性は心そのものにも向けられない心的生活におそろしい裂目や爆発や破片を作り出すことが明らかにされました。しかし、それは意味が無意味の中にも見いだされるということでは決してありませんでした。ロビーの場合に真に問題だったのは、私がかつて他の精神病の子どもに見いだしたような奇妙な行動でも混乱した話でもありませんでした。彼にもそういうところがいくぶんはありましたが、むしろ、問題なのはしばしばそこにはただ何もないという感じだったのです。〜

〜私は、自分で長いペニスを作りたいと思っていることなど、様々な擬似精神分析的解釈を行いましたが、今はこれらは無益であると同時に間違っていたと思っています。なぜ無益かというと、それらが彼から何ら反応も引き出すことがなかった上に、彼と一緒にいるというのはどういうふうに考えられるかという問題からの逃げ道となっていたからです。また間違っていたというのは、当時彼が欲するということはほとんどなかったためです。欲するということは、その時期の彼のセッションには、ほぼ欠けていました。ですが、欲することの欠如が、彼が自らに尊大で万能感的な完全さを感じていたことを意味するとは思われません。彼は、ある種の自閉症児たちがするように、天国におり、天国をもう見付けたかのようには振る舞いませんでした。彼は、自動的で反復的な行為というやり方で何かを欲し、それが、長くなることを欲しましたが、そう強く欲しがっているようには見えず、いずれにせよ、それがどういうことかを私が見いだすまでには何年もかかりました。おそらく。彼がD婦人からお菓子をもらうことを欲していたというのは本当でしたが、一方、それが得られない時には、彼の身体と心は空虚であるように見えました。〜