うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

初詣と、“人と自然をつなぎ直す” ~34歳社長が見つけたもの~と、【呼吸筋・発声筋の活用は、人がこの世に出てきて最初に行う行為である。それが緊張に閉じ込められた自己の解放の運動であると言うならば、発声練習は、トラウマ的出来事から生還した〈死の体験者〉が、まず行うべきウォーミングアップであると言えよう。】

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 昨日はまりちゃんと、細江神社に初詣したり、お茶会をしたりあっという間に時間が過ぎていきました!

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 空もきれいでした!

 

 下記の記事は、自分たちの目指す地点でもあります。きちんとした支援が出来ていれば、福祉の予算が削減されても、お金を支払ってでも受けたい支援になるのではないでしょうか?それは慣れではなく、きちんとした理論の下で行う支援であってほしいですし、そのための理論を参与しながら構築させて頂いています。

山井さん
「上場企業なので、年度ごとのコミットメントを達成する事はすごく重要なんですけど、売り上げというのはあくまでも自分たちに関わる人たちを豊かにできた、幸せにできた対価だと思っています。
今、経済活動、それこそDXだったりIT化されていく中で、もしかしたら数字を積み上げることが目的になっている企業が多いんじゃないのかなと思っていて」
「売り上げをつくるという視点ももちろん企業活動の中では大切な事なんですけど、あくまで本当に世の中にどういう価値が与えられるのかとか、人の生活だったり、どういった豊かさ、価値が提供できるのかという、その筋を持ち続けることがやっぱり企業が成長していったり、企業としての存在意義をいま一度考えて実行していくことが企業の発展にもつながっていくんじゃないのかなってすごく実感しています」
「なので、自分たちはこういうバリューがお客様に提供できる、地域や社会にとって還元できるという、その芯があるからこそ、今あまり怖い事ないんですよ、経営をしている中で
自分たちが確固たる価値提供できるという確信があるからこそチャレンジもできますし、本当にそれがしっかりと届けられているんだという実感を持って経営ができているので、そういう『売り上げ軸』より『価値軸』で企業活動をする事っていうのは、何か1つヒントがあるのではないのかなと思います」


 

言葉というのは、表出されている物だけではなく、無意識で投影されている物の中にも感じることができますし、それを感じることができなければきちんとした支援も出来ません。ポリヴェーガル理論にも下記と同じようなことが書かれていましたが、ポリヴェーガル理論は個人的には机上の理論のような気がしてしまいました。(偉そうですねw、特に自閉症者の記述にはそう感じました。樫村愛子先生の本でしたでしょうか?自閉症者には愛を受け取る機能がないようなことが書かれていて、詳細や意味はお会いしてお聞きしないと分からないのですが、個人的には自閉症者にも愛を受け取ることは可能だと現場にいてそう感じています。)

をなくした人間が、語り出す前にすべきことは、発声練習である。しゃべるために用いる器官が口と舌であるからというのが理由の一つである。
かし、それ以上に、発声練習は呼吸器官と声帯を稼働し始める訓練であることに注目してほしい。  が生まれて初めて使う筋肉が、呼吸筋と発声筋である。出産時の新生児の体験をトラウマとする考え方があり、オットー・ランクは、幼児の不安と恐怖の原因を「出産のトラウマ」に帰するものとしている。
ロイトは、この説に全面的に賛成しているわけではないようであるが、出産の際、内部から外界に移行する体験が、新生児にとって、刺激が極限に増大する危機的事件であることは認めている。
 生児にとって、出産の直後「内的刺激の除去のために肺の活動が起こり」それが、産声として、この世での第一声となると彼は言うのである。それゆえ、これ以後も、不快・不安の状況の中で刺激が増してくる度に、子供は「緊張の解除の方向が、呼吸筋と発声筋にむく」(「制止、症状、不安」第六巻、p.354)ので、(母親を呼ぶために)声を上げるというのだ。これがフロイトの考えである。  吸筋・発声筋の活用は、人がこの世に出てきて最初に行う行為である。それが緊張に閉じ込められた自己の解放の運動であると言うならば、発声練習は、トラウマ的出来事から生還した〈死の体験者〉が、まず行うべきウォーミングアップであると言えよう。〜