今日も暑かった!と、フジロックから考える コロナ禍の“分断”と、【 イエス・キリストは、いつまでたっても安全な客人へと転換しない不法侵入者ではないだろうか。】
今日も暑かったですし、夜もまだ暑いですね........。
そんな状況下でも皆さん笑顔で一日を終えたこと、感謝です!
下記は本当に難しい問題ですが、ILL-BOSSTINOさんの言葉は本当にそう思います。マスコミは普段彼らのおかげで(まあ、お互い様なのかもしれませんが)飯を食っているのなら、自分達も飯を食わないといけないなら、一緒に儲かることを考えていけば良いものものを、どこかの野党のように批判ばかりで対案も出さずに、ほざいているだけではじり貧が待っているだけでしょうね!
「分断が残るんだったら、もったいないなって思うんだよね。もちろん違う意見は必要だと思ってます。いろんな言葉、いろんなアイデア混ぜてなんとか新しい道探そうぜっていうときだから」
現在の資本主義はキリスト教から出てきたと以前にアップした覚えがありますが、下記の通りだとしたら、キリストを不法侵入者にしなくなった時が、世界に平和が訪れる時なのでしょうか?それが事実とすれば!ですが。 コロナも紛争も早く終息してほしいものです.......。
〜すると、ソクラテスよりもさらに徹底した不法侵入者、純粋な不法侵入者は、イエス・キリストだということになるのではあるまいか。
イエス・キリストは、いつまでたっても安全な客人へと転換しない不法侵入者ではないだろうか。
どのような意味において?キリスト教、つまり「キリストの信仰」という語の両義性に注目すればよい。キリストの信仰とは、一方では、神であるところのキリストを(信者が)信仰することだが、他方では、人としてのキリストが(神を)信仰することでもある。
後者のように解した場合、つまり「の」を主格と見なした場合には、キリストは、人々にとって、信仰のロール・モデルである。人は、キリストが神を信仰するように、神を信仰しようとするのだ。
キリストは、純粋な信仰において、神=真理を知る者であり、人はその信仰に漸近しようとする。〜