うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ツバメと、今日のうたたねと、規格外の野菜・果物=安い、は古い?と、【彼は〈商人〉でも、〈収集家〉でも、〈趣味人〉でも、あるいは〈愛好家〉でもないのだ。というのは、この種の人びとは自分の技能を第一義的には自分自身の利害のために用いるからである。】

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 早朝にファミマに行ったら、店内にツバメが飛び交っていました!あまりにもキレイに舞っていたので、思わず写していました!

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 今日は夜勤明け。朝から暑いので水分補給はまめにしています!

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 帰りに車に乗ったら……。暑いはず!

 

 下記は、大分前から言われていたことですが、ネットが発達したことによって表に出てきたことの一例で見ありますね!




  下記のように、自分達は技術を売っています。だけど、技術と慣れの違いが分からない人間がどれだけ多いことか?毎日毎日嘆きたくなります!

  ービス提供者が、利害関心を超越した専門家であるという自己像に愛着を持ちいつでもこの自己像に基づいて人びととの関係をもつ用意ができているということは、一種の世俗的な貞潔の誓いであり、依頼人にとって彼が素晴らしい利用価値があるということの根源にはこの事実があるのだ。

  ービス提供者に依頼人は、通常の個人的理由でも、あるいはイデオロギー的理由でも、あるいは契約上の理由でもない理由で力を籍してくれる人を認めるのである。

  かも、この人は、依頼人自身の立場に立って、依頼人自身の最善の利益という観点から、一時的とはいえ集中的な関心を払ってくれる人でもある。ある人間の問題かなついての研究者は以下のように指摘している。

 の文化において定義されているところによれば、専門家とは、その収入と地位の、いずれをも、自分の専門分野についての普通以上に精確で剴切な情報を、他人へのサービスに供するという形で利用して、入手するものを言う。

  の〈〜へのサービスに供する形での利用〉は、われわれの社会の商業的ー商業的社会秩序に組み込まれている。専門家は専門分野の道具や備品を商売するのではない。

 は〈商人〉でも、〈収集家〉でも、〈趣味人〉でも、あるいは〈愛好家〉でもないのだ。というのは、この種の人びとは自分の技能を第一義的には自分自身の利害のために用いるからである。

 上のような理由があるからこそ通常信用を保証してくれるものを何も持たない人びとを依頼人が信用することは、依頼人にとっては引き合うことなのだ。