今日のうたたねと、小さなまちの“企業再生請負人” コロナ禍での苦闘と、【しかし、資本主義のナルシシズムは、それでも、自分がなり得る他者(アイドル)や、フィクション(広告イメージ)などによって、その像は距離化され他者化されているだろう。】
アップ時は、昨日のうたたねとなってしまいました......。昨日も皆さん笑顔で終えることが出来、感謝しています!
下記のニュースは、現在自分が学んでいることでもあります!
後継者不足の中、経営状態が良くても、M&Aという選択肢はありますね。自分達も信用できる組織になって、お互いがきちんとした支援ができる大きな組織と組めたらと、考えています。
信金のネットワークで「M&A」
伊藤が出した解決策は、今野商事を別の会社に買い取ってもらうことで立て直しを図る「M&A」による再生だった。
市内の企業に対して自社のシステムを売り込みたいというソフトウエア会社のねらいに、地域に深く浸透している今野商事の買収は合致した。買収によって経営者は代わったものの、文房具店の営業は現在も継続、雇用も守られた。
考えたら、この本も社会学の本でした。1つのことを掘り下げるだけでも、大変な作業でせ。
6 セミナーの資本主義的性格
以上、セミナーの構造をみてきた。セミナーが「他者性」を食いつぶしたことが、他者性を文化的制度として保った宗教に比べ、不安定な構造を生み出すこととなった。
それは心理療法のように徹底した認識にまで進まず、心理療法を生かじりしたせいであるとも言える。他者の機能は、成長や移行を担保する時間などを保証していたが、セミナーでは、自己の理想的対象は、すでに、他者ではなく、障害物によっていまだ全的に実現されていない自己であると設定される。
実際に理想的な他者がしない時代、自己が理想としてほれこむ相手は、自分が理想的だと思う自己へと帰着することとなるといえるかもしれない。しかし、資本主義のナルシシズムは、それでも、自分がなり得る他者(アイドル)や、フィクション(広告イメージ)などによって、その像は距離化され他者化されているだろう。
資本主義は、この距離をもたなければ商品を成立させえないからである。また理想的な自己への願望とは、実際には、それを見てくれる他者の視線に支えられているものなのである。が、セミナーでは、自己の転移先としての他者を意識の上では断ち切ることで、この原初的な他者依存を意識の上で排除してしまう。
そしてそのことで、心理療法のプロセスで起こるはずの、他者の失墜によって自我の虚構性を認識するという回路を断ち切ってしまうだけではなく、自我の虚構性を認識する上で、支えとなる他者を現実において切断してしまう。〜