うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日のうたたねと、命の選択「心が折れそう」 コロナ患者急増の兵庫 医療現場から悲鳴と、【超自我が心的装置、中で果たす役割は、個々人の欲望のいかんにかかわらず厳然として存在する外的現実の規範を自我に教えてやるというような教育的なものではないらしいのである。】

 

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 今日は職員配置がしっかりしていて、自分は男子の支援に集中出来ました。今日も男子はすろーの湯に行きました!そしてイチゴも!

 

 下記は、本当に深刻ですが、福祉職も同じ思いです。理解のないご家族とか、日中の事業所さんとか……。こちらがどれだけ予防策を立て実行させて頂いても、簡単にルールを破られたり、勝手にルールメイキングされたり……。心身ともに皆さんも限界に近いのではないでしょうか? でも、一部では粘り強く防御されて居られる方も散見されますので、その方々から元気と勇気を頂いています!

 ここまで皆さんと辛抱したのだから、もう少し皆さんとともに、生き抜くつもりです!

 

 23日に記者会見した神戸市民病院機構の橋本信夫理事長は、患者の急増で「誰に入院してもらうかの命の選択を迫られ、看護師からは『心が折れそう』との悲鳴が出ている」と説明。「往診で重症化を防ぎ、救える命を一人でも多く救いたい」と話した。

  文化というのは、分からないように生まれて来るとは、誰の言葉でしたでしょうか?超自我も、ラカンが言う大文字の他者のように、はっきりした形や、実在していないものでしょうか?

  〜我がこのような「騎士」だとするならば、超自我とは一体何なのだろうか。

 自我的なものについてはフロイト自身、以前から指摘しろんじてきたのだが、『自我とエス』において特に強調しているなあは、それまでの想定に反して、超自我が「意識とそれほど確固とした関係を取り結んでいない」と新たな知見である。

 前の論文(「ナルシシズム入門」など)では、超自我には「現実吟味」の機能があると主張していたのだが、それは間違いであって、「現実吟味」の機能はむしろ自我にあることが分かってきたという。

 自我が心的装置の中で果たす役割は、個々人の欲望のいかんにかかわらず厳然として存在する外的現実の規範を自我に教えてやるというような教育的なものではないらしいのである。