先日と今日のうたたねと、〈黄色いベスト〉運動/デヴィッド・グレーバーと、【同じだけの変化であっても、それが短時間内出での変化か、長時間かけての変化かによって、その強度は異なる。】
上の2枚は先日のうたたねの写真です。ホームの皆さんは、今日はどんな方がショートに入られるのか?毎日興味津々です!
今日は散歩やドライブ、すろーの湯で楽しみました!
下記も、このところの続きですね。フランスの大統領にでもなろうと思うなら、哲学をきちんと勉強し、理解していなければなれないと、何かの本で読みました。しかし、このネット環境が発達し、知識や情報の非対称性が崩れようとしている時代には、よほど突出した知識がなければ、人の上に立つなんて出来ないのかも知れませんね。
慣習的なカテゴリーをもってしては、現に起こりつつあることをまったく記述しえないということ。それが真に革命的な瞬間というものの特徴のひとつなのだとしたら、わたしたちは今まさに、革命的な時代を生きている。
〈黄色いベスト(ジレ・ジョーヌ)〉〔以下、時に「GJ」〕は、目下急速にその蜂起のクライマックスへと大またで向かいつつあるが、これまでこのドラマが新たな「幕」〔毎週土曜の行動がこのように呼ばれる〕を開くその度に、フランスの解説者たちは──ましてや外国の解説者たちは──、深い混乱を、いやさらには信じられないといった態度をさえ、示してきた。
思うにそれは、過去50年のあいだに、しかしとりわけ2008年のリーマン・ショック以降に、権力が、労働が、反権力の運動が、どのように変化してきたのかを考えるということに関して、彼らがほぼ全面的といってよい無能ぶりを晒しているからなのだ。知識人たちは大部分、こうした変化をほとんどろくに理解してこなかった。
自分は、下記をアップしたかったので、ここまで引きずらせて頂きました。これは自分たちの現場でも、支援方法を考える上で大事な要素の1つです。しかも上位の!
〜ここでフロイトは、快原理が根本的に量の問題であるという「草案」以来の考えを再確認している。
ただし、ここで問題となっているのは、量の大きさそれ自体ではない。そうではなくて、量が時間経過の中で増加や減少する変化こそが問題なのである。
同じだけの変化であっても、それが短時間内出での変化か、長時間かけての変化かによって、その強度は異なる。
同じ高さの山でも、ゆるやかな傾斜の山まであれば急峻な山もあるわけで、登山者にとってこの違いは、高さの違い以上に必要である。フロイトは、快・不快を捉える上で、この点が重要だと考える。〜