うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

太陽の光の茶碗と、「その日暮らし」の人類学と、路上の靴磨き、最後の1人に会いに行くと、【  感覚のヒエラルキーは、大きく分けて視覚と聴覚が上位。嗅覚、味覚、触覚が下位に分けられますが、この二つのグループの線引きとなっているのが、まさにこの距離の問題なのです。】

 

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 感性価値クリエイション時に、Dチームで考えた太陽の光のお茶わんを、Photoshopで、作ってみました。まだまだ使いこなせていないので、練習あるのみです.........。

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 本は時間を見つけて読み続けていて、ひび割れた日常から断片的なものの社会学から、「その日暮らし」の人類学に入り、半分読みました。ここの出版社さんも、先に読ませて頂いた集英社さんのもは、カバーが2重になっていて楽しいのですが、本の内容とそのぜいたくさは矛盾を感じてしまいました......。こちらも良い本です!

 

 NHKのニュースを見ていたら下記がありました。

最後の靴磨きの男性
「時代の流れはしかたないことです。ただ私は『金儲け』が好きじゃないんですね。
体と頭を使う仕事、靴磨きが好きなんです。額に汗水垂らしてやる仕事が好きなんですよ」

「新型コロナとか色々ありますが、なにがあっても私はただずっと変わらず心を込めて靴を磨くだけです」


  下記は納得すると同時に、いい加減、西洋式な考え方はもうやめたいな、とも思いました。肌感覚と言うのは触覚にはならないのでしょうか?自分達の仕事ではまず、肌感覚というのが先に来るような気もします。

 〜ぜ、触覚は劣っているのか。まずあげられるのは、「距離のなさ」です。

  覚であれば、対象から離れているので、対象から自己を切り離して、理性的に分析したり、判断したりすることが可能です。

 ころが触覚にはそうした距離がない。触覚は、対象に物理的に接触することなしには、認知が成立しないのです。ゆえに自己の欲望や快不快に直結してしまう。

 覚のヒエラルキーは、大きく分けて視覚と聴覚が上位。嗅覚、味覚、触覚が下位に分けられますが、この二つのグループの線引きとなっているのが、まさにこの距離の問題なのです。〜