うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日のうたたねと、働く親は自分のアイデンティティのすべてを仕事に持ち込もうと、【最も重要なことは、「予測は決して実際の未来と一致することはない」、と私たちが知っていることである。】

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 昨日は、食堂の感染予ℬ法のパネルに、皆さんで飾り付けされていたようですね!現物は素敵でしたよ!

 

 

 少し前の記事ですが、しかし、弱さそのものが力でもある。自身が直面している困難を打ち明けたとき、新しい次元の理解と信頼がしばしばはぐくまれるのだ。』には、共感しました! いつも強くて大きい物だけが勝つと言うことはない!と、諦めずに生きています(笑)。

www.dhbr.net


 

  下記は、昨日の続きです。最近特に、ゴールからまず考えて、その過程を考えていく方が成功に近いような傾向にありますが、歌を作るにしても、詩から先に作る方がおられたり、曲からまず作られる方がいるように、力のある方が放った言葉通りにしかできないなら、おそらく成功は遠のくと思われます。不確実性が高まっている中、どうやって事業を継続、成長させていくのかは、きちんと現場の声に耳を傾け、目でしっかり見ていれば、おのずと答えは出てくるのではないでしょうか・というか、それしかないと思われます。逸れましたね....。

 

  〜も重要なことは、「予測は決して実際の未来と一致することはない」、と私たちが知っていることである。未来を予測しているときには、私たちは未来の予測不可能性を自覚している。

  かしこの不確定性にもかかわらず、あるいはそのためにか、予測は確かに未来についてのものなのである。未来は予測を超えているので、この還元不能性は、像にならない、つまり表象できない。

  来の予測がまさに未来についてのものであると意識されるのは、この想像不可能性、直感化不可能な核ゆえにである。

  閉症の人たちは、たとえ高機能であってもしばしば、この未来と未来の予測とのずれを理解しないし、さもなくばずれに耐えられない。

  らは未来を想像することができない。誰かが彼らの未来を予測すると、彼らはそれを真実の予言だと思い込みその通りになるものだと信じる。