今日は遅番で入らせて頂きました。早朝からの教科書は、ルーチンを守り(笑)、ギターも少し弾き現場に入りました。総会のことも終わり、少しだけほっとしていますが、通学が始まるとそうも言ってられなく、引き継ぎを大急ぎでやらせて頂いていますが、感覚的なことを伝えるのは、至難の業ですね……。
午後からは、白谷に散歩に行きました。
夕食後は、皆さんダンスや体操を楽しそうにされていました!
皆さん笑顔で一日を終えたこと、感謝です!
昨夜の講義で、金森先生から教えて頂いた、というか自分のレポートを読んで頂いて、これを読んだら目からうろこもんだとこの本をすすめてくれたので、早速Amazonで注文しました。
下記は、間違うということで、他の方がそれをたたき台としたり、違う方向に目が向いたりして、新たなイノベーションが生まれる可能性があると教えて頂いた感じがしました。
下記は東畑先生からの引用ですが、漢字を知らない、読めない方も日本には障害の有無関係なくおられます。そういった方々には、また違うアプローチの仕方がありますね。ノースカロライナに行った時に、盲の方にTEEACHを使えるか?という疑問を抱えた方が、盲学校の教師の方だったと記憶していますが、別の場所に向かわれたのが、まだ気になっています。もう大分前になりましたが。
~表意文字である漢字において、意味は既に表面ににじみ出てしまう。
だからこそ、日本の心理療法は表面をめぐってワークする必要があると筆者は考える。
ここに、繕うこと、覆いを作ること、格好をつけることなどの表面をめぐる力動の重要性がある。美とはこの表面の原理であり、価値である。
この点を非常によく表しているのが、第3部の扉絵にした「桜に幕」の図案である。この日本ではポピュラーな「桜に幕」の図案には過剰なまでの表面性が示されている。
つまり、満開の桜が札を美しく飾るだけでは足りず、さらにそれを赤と黒の幕が覆っている。
ここに日本文化の表面への美的な欲望を感じることが出来るだろう。~