人のいない場所を求めて、ドライブしていますが、今日は自分の作品の題材を探しに、一時よく行っていた、神野の方に行きました。全く人気のないところで、ラジオ体操をして、予約していたお弁当をもらって直ぐに戻りました。本当に早く収束してほしいと願う毎日です........。
少し写真も撮ってきました。日曜日なので余計に人気がなかったのでしょうね。
午後からは、すろージャムの湯に入りに行きました!皆さん行くよね!モードなので(笑)、また、現在はこれが一番の楽しみなので、時間がある限りは行かせて頂こうと思っています。
Zoomでの講義が始まりましたが、コロナ禍の上に、こんなことが頻発してきたら、一体どうなってしまうのか?機密情報を話し合っているわけではないので、大丈夫なのでしょうか?バージョンアップの速報も流れていましたが.........。
東畑先生の引用ですが、一瞬コフートかとも思いました。やはり読ませて頂いて時間が大分経っているのででしょうか?
無力感に陥ることはよくあります。毎日と言っても過言ではありません。自分達も何か名前をつけて追放すれば楽でしょうね。でも、諦めずに後継者が頑張ったので、統合失調症などにも有効になってきたんだと思われます。そう考えると、。自分達も先人が残してくれたものを精査させて頂きながら、その場、その方に一番合うと思われる方法を考えるべきだと、勇気を与えてくれます。
3 自己愛的に考えられた自己愛
~自己愛という概念が間主観的なものであるのは、それが心理療法のプロセスで生じる激しい抵抗を理解しようとする中で考えられたところにある。
フロイトが統合失調症を前にした無力感の中で彼らに精神分析がなぜ無効であるのかという問いのもと、自己愛という概念を構想し、その結果として彼らを自己愛神経症と名付け精神分析の範疇から追放したことは、その顕著な例と言える。~
※ある事柄が間主観的であるとは、 二人以上の人間において同意が成り立っていることを指す。 この状態は一般に、主観的であるよりも優れており、 客観的であるよりも劣っているとみなされる。