うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

喘息の受診と、【 しかしながら、この章で発展させた視点からみれば、抑うつポジションは妄想-分裂ポジションと弁証法的に共存している。】と、【弁証法】アウフヘーベンしようぜ!今さら聞けない弁証法の基礎

 

 

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 今朝、喘息の薬をもらいに行ったときに、診療所に貼られていたものです。当施設も今回の集団指導は、資料のダウンロードだけで済ませます。県は延期とかの措置を取らないのでしょうか?資料を読んで、理解できない個所を電話で聞こうと思います。県は延期等をまだ考えていないのでしょうか? 先日、薬剤師さんも3000人集まる集団指導があるので、恐いと言われていました。

 医師はこちらが何も言わなかったですが、この騒動の中来るのは大変だろうからと、2か月分処方してくれました。本当にありがとうございます。それくらいしたら収束するかも知れないからと言われてましたが、そうなって欲しいですね。

 

今回もオグデンからです。弁証法的を改めて調べて、分かりやすいサイトがあったので貼り付けさせて頂きました。『抑うつポジションは妄想-分裂ポジションと弁証法的に共存している。』は本当にそう思います。

 

 ェーファー(1976)の考えによれば感情と動機づけを「もの」化することは、心理的活動やふるまいにかかわる能動者としての主体の立場を否認するためのものなのである。

 ってやってしまったことの責任を否認しようと無意識的に努力すると、患者は「怒りが私のなかで高まって、私は爆発しそうだったんです」とか「何が私をそうさせたかわからない」とか言うこともある。

 為-否認的な姿勢のなかで、患者は無意識に抗議する。「無知で受身で孤立無援だという錯覚をもってもいいでしょう。私たちは自分が自分の家の主人だということを認めたくないんです」(p.154)

 るほど、完全に発達した抑うつポジション(けっして達成されない理想状態である)においては、私たちは自分の思考と感情とふるまいについての責任に気づいている主体である。

 かしながら、この章で発展させた視点からみれば、抑うつポジションは妄想-分裂ポジションと弁証法的に共存している。

 人がおもに妄想-分裂ポジション的な様式で機能しているとき、彼はかなりの程度体験によって生かされている。だから、言語をそのような含意をもたせずに用いることは不正解である。