さがっぱ・ジョー(joe sagappa)
さがっぱ・ジョーさんは、相模女子大のキャラクターとのこと。かわいいですね!
私用でお邪魔させて頂きました。構内に入ると、勉強嫌いな自分でもなぜか?勉強したくなりました。
他にも用事があったので、相模の街を堪能することもできずに帰宅しました。行きはきれいな富士山が見え、気が引き締まりましたが、帰りは大雨で前の車ですら見えにくく、生きた心地がしませんでした........。まあ、暖かかったので、雨で済んだのかも知れませんが。3連休の割には高速が空いていたのは、コロナウイルスのせいでしょうか?
下記はまだ、スィーガルです。現場で一番難しい問題かもしれませんね......。あまりコメントしたくないですが(触れられたくない親御さんがどんなに多いか.....。)、避けることができない問題でもあります。親子の問題は仕方がありませんが、職員がこのような状態になっていることも多々見ます.......。自分の存在がその方にあるような感じを見ると、思わずそれは共依存ではなくて、逆依存だよ!って。そんな場面に遭遇して、注意をさせて頂いても、気づかない方がいるというのは、ちょっと情けなくなりますね......。
〜子どもの分析で提起される特別な問題は両親との関係である。
私たちが大人を分析するときには、彼の内界に変化が生じると、患者自身が彼の外界環境に大いに働きかけることができる。
子どもの場合にはそうはいかないつまり、子どもの外界環境は彼の両親によって大きく規定されている。
時折、子どもの治療が進展することで、その子と親との間の悪循環が解消されるし、両親は彼との間でよりよい関係をもつことで、その子と親との改善に応じる。
しかしながら、しばしば、その子の病気の一因となる圧迫を加えている環境としての両親はそうした圧迫を及ぼし続けるし、よく知られているように、その子の病気が家庭に必要なものである場合には、ときどき両親はその改善に逆らう反応さえもする。
私たちは子どものよい内的な像や彼の自我を強固にすることで、子どもが彼の環境とよりうまくやっているようにすることはできる。
だが、私たちは環境を変えることはできない。両親を教育したり、両親に影響を及ぼそうとする試みは、分析家にとっては常に大きな誘惑である。
けれども、これは好ましい結果をもたらさないし、それに、患者と分析家との間の精神分析的な関係を妨げがちであることは、まず、いつにおいても体験されてきたことである。
もし、両親が援助や助言を求めるなら、その子の分析家以外の人からの適切な援助を彼らに見つけることが常に最良の道である。〜