うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ヨシタケシンスケさんと、幸福な北欧ノルウェーで急増する「うつ世代」なぜ若者は悲しんでいるのかと、【転移は想起するかわりに反復する営みであり、それゆえつねに転移をかたちづくる対象との絆を放棄することへの抵抗である。】

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 浜松のリサイクルショップで、ヨシタケシンスケさんのコーナーがありました。何冊か読ませて頂きましたが(挿絵が多かったですが)、独特な世界にはまってしまいました。以前、志都呂のイオンに皆さんと行ったときに、かおちゃんがこの方のコーナーで動かなくなられたのもわかる気がしました。今度、買ってもらいます!

 

 

 下記を読ませていただいて、なんか世界的に自分の至らなさを他人のせいにする風潮が、幅をきかせているのではないか?と思うのは、年のせいでしょうか?ネットやSNSを自分なりに、自分に合うように使っていけば良いだけなのにと、残念な気もしました。自分の子供が小さいときに、TVで男性のお笑い芸人が、女性のお笑い芸人に殴る蹴るで笑いをとっていたのには、怒りを通り越して、日本も終わったなと思いながら、怒る娘を横目で見ながらTVを消した覚えがあります。

 大阪人に言わせれば(笑)、笑わすのと笑われるのは違う!というのがありますが、他人を利用して笑いをとるのは、自分に実力がないからですね。

 それは、生き方にも言えることだと思われます。他人を批判する前に、しなければいけないことや、したいことが沢山あるのに......。きっとしたいことが見つからないので、他人を批判したり、利用したりしてしまうのでしょうね。

 

 下記は、オグデンに戻りました。障がいをお持ちのお母さんが(そのお母さんは立派な方です)、想起しにくくなった我が子に対して、ゆっくり想起できるまで、待ってあげたら良いのになと見ていましたが、待てずに結論を迫っている場面を少し前に見ました。結局はお母さんが結果を出してしまっていて、余計にその方の能力を削いでしまってしている感じがしました。絆というのは、何も人と人の間だけにあるものではなくて、自分と自分の内的な対象にもあると思われるので、それをわざわざ外部の人間が逆転移を急ぎ過ぎて、下記の意味合いとは少し違いますが、その絆を放棄させるのは、その方の個性を放棄させることではないのか?と思ってしまったことをおもいださせました。

 移は想起するかわりに反復する営みであり、それゆえつねに転移をかたちづくる対象との絆を放棄することへの抵抗である。

 移分析は部分的には反復を記憶へと変形する過程であれば、その意味でそれは抑うつポジションでの歴史性を拡大することをめざしている。

 じることを思い出すことに変える過程(歴史的次元をもつ象徴の領域で感情を加工すること)とそうした感情を時間をこえて保持することが、フロイトが「イドEsありしところに、自我Ichをあらしめよ」(「それitのあったところに、私Iがあるようにせよ」)という言葉で言おうとしたことの核心にあるのである。