今日は節分ですね、何年か前に作った?(笑)立春大吉を裏のお地蔵さんと、作品のモデルにしようと。だいぶ前に浜松の骨董屋さんからタダで頂いた扇風機を並べてみました。梅は昨日、池之原で咲いていたものです。2月といえば梅ですが、少し早いですね!北野天満宮の梅花祭は25日でしたでしょうか?
ロウバイも池之原で咲いていました。横のものは、衣笠林道にあったものです。中々の趣味人さんが飾られたのでしょう!素敵でした!
今日は日中からにぎやかでしたが、夕食後もっと賑やかになりました。音楽なのか?ボール遊びなのか?みなさんのおかげで、童謡を弾くのが上手くなりました!一日ギターを弾いていました(笑)。ひげ爺さんから、ハイサイおじさんまで(笑)リクエストが絶えませんでした。
いのうえっちは、最初、偽物のおっちゃんでしたが、途中から偽物の誰だかわからなくなっていました(笑)。今日もみなさん笑顔で過ごせたこと、感謝です!
下記は前によく見させていただいていたものです。諦めないこと、やり続けることの大切さを、軽快なトークで優しく伝えてくれています。英語が自分のようにダメな方は、翻訳機能を使ってくださいね!右下の四角い吹き出しのようなところです。
アンジェラ・リー・ダックワース『成功のカギは、やり抜く力』
昨日の続きですね。もっと核心に迫っていますし、引用してくださった方が、種明かしをしてくださっています。一番最後のところです。ラッカーを読み終え、復習に入っていますが、第7章から、第8章、第9章と、最後に行くほど凄いことになっていて(笑)、全部の行にアンダーラインを引いてしまう自分は、やっぱり初学者やな!って思ってしまいました(笑)。この5年で約100冊の精神分析関係の本を読ませていただきましたが、まだまだ勉強不足です........。し、オワコン扱いされる理由が分かりません。
~歴史という体験は明瞭に人間的な現象である(Kojeve,-1934~1935)。動物は生物学的に決定された反応パターンが演じられるような、進化による進展をうけるだけである。
ところが、歴史は自己内省の能力を必要とする。この能力がないので、動物は単に現在に生きるだけである。
人間だけが、世界のなかで自分の体験によって自分が変化させられたあとでも、自分が誰だったかを自己内省的に憶えていることができる。
抑うつポジションにおける乳児は、自分自身と他者の両者を、たとえば母親を(幻想や現実のなかで)傷つけるまえにそうであったのとほぼ同じ人間として体験し始めている。
乳児も他者も異なった人間になるのではなく、共通の体験に付加的なできごとがつけ加えられたのである。
対照的に妄想-分裂ポジションにおいては、過去は不断に変化する。どの新しい体験も以前の体験すべてを根本から変化させるのである。
現在は即座にそれまでの体験すべての上に投げかけられ、過去を虚無化する。過去は単に現在の流動的な延長に過ぎなくなる。
境界例患者が治療者に腹を立てるとき、すべてのそれまでの体験は治療者の側の欺きと見なされる。~