うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

スプリンクラー工事と、ストッレッチ教室と、【属する社会生活よって、間主観性に対するこのニードが過小評価されたり、過大評価されたりすることは疑いありません。】


内部のスプリンクラーは、もう少しで完成するようですが、タンクの方は土台の型枠にコンクリートが打たれたところです。
思ったより早く出来そうで良かったです。




 今日は、誕生会の後、ストッレッチ教室がありました!
希望者だけの参加ですが、大分できる方がいました!いのうえっちが一番できています。
 りえさんは、誕生会があったので、ずっとニコニコされていました!





 本は、朝、ひーひー王子の散歩の後、少しだけ読みました。ジョセフ・ベティの本が読みたくなり探しましたが、Amazonでは1万円以上の値がついていて、諦めようとして、楽天の方を覗いたら、定価での販売だったので、そちらで注文しました。
 イギリスの、クラインをはじめとした、クライン派の女性分析家達は、なぜこんなに深く患者さん達の心を見る事が出来るのでしょうか?
女性特有の感覚なのでしょうか?





 アップは、スターンに戻っていますが、下記の属する社会生活によって、という箇所は、施設や支援者を含めた生活という状況にも当てはまる気がしました。





 〜目的論的に考えれば、自然は、その進化の過程において、集団メンバーシップによる群居動物の生存保証の方法をいくつか作り出したといえます。動物行動学や愛着理論は、生存を強化するこうした身体的、心理的の、個と個の絡み合いを保証する行動パターンをはっきり描き出しています。さらに自然は、存続価値を与える可能性のあるいかなる主観間の絡み合いにも、方法や手だてを与えてきたと、私は考えます。そして間主観性の存続価値は、計り知れない可能性を秘めています。
 属する社会生活よって、間主観性に対するこのニードが過小評価されたり、過大評価されたりすることは疑いありません。たとえば、もしある社会が社会的に構造化されていて、すべてのメンバーは本質的に動員し内的主観的体験をもち、しかも人生はこうであろうと感じられる主観的体験の均一性が強調されるなら、間主観性の発達を強化するようなニードや社会的圧力はないことでしょう。一方、もし社会が体験のこのレベルでの個人差の存在とその共有に高い価値を置くなら(私たちがそうしているように)、それらの発達はその社会によって促進されるでしょう。