うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

解体現場と、【新しいテクノロジーは絶え間ない供給をもたらす。見る時間の許すかぎり、多くの悲惨と残虐の映像を提供する。】

 

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 施設の近くの信用金庫が統合されて、解体されています。建物も業務が行われていないと、死んだように見えていました。AIが発達するにしたがって、なくなる仕事と言うのが、良く取り上げられていますが、生身の人間にしかできないことも沢山あるはずですね!と、解体されている現場を見てそう思いました。

 

 下記は、ソンタグの続きです。

慣れというのは、良い面も、悪い面もあるので、今やっていることに対して、本当に意味があるのかを確認しながら進めて行かないと、悪い面だけになりがちです。下記を読ませて頂いて、強く思いましたし、昨日は、自分の中の小さな世界だけが全てだと思っている方が多いのにも驚かされました。知識だけで判断する愚かさも感じました。仕事をするうえで、その道の知識があるのは当たり前のことですが、クラインマンが言いたいのは、人間性も磨かなければいけないということではなかったでしょうか?

 自分があたかも全知全能の神の如くに思っている人間とは、付き合いきれませんね(笑)。

 

 ~ワーズワースは「日々の」事件、「異常な出来事」について「時々刻々」伝わる情報が知性を鈍らせると指摘していた(それも一八〇〇年に!)。どのような事件や出来事であるかは、思慮深く読者の想像にゆだねられていた。約六〇年後にもう一人の偉大な詩人かつ文化の診断者が――フランス人なのでイギリス人が控えめに表現するのとは対照的に誇張表現の傾向があるが――同じ非難をさらに熱をこめておこなっている。

 

 ボードレールは、一八六〇年代初頭の日記にこう書いているのである。

 

 年月を問わず、新聞を開けば、必ずどの面にも、人間のもっとも恐るべき悪が記録されている。

 (中略)あらゆる新聞が第一行目から最後の行まで、恐怖の連続以外の何物でもない。戦争、犯罪、盗み、猥褻行為、拷問、君主の、国家の、個人の悪行、普遍的な残虐の饗宴。

 こうした忌まわしいアペリティフで、文明人は毎朝ので食事を流し込む。

 


 

 ボードレールがこう書いたころ、新聞に写真は掲載されていなかった。しかしそのことは、市民が世界のおびただしい恐怖を満載した新聞を片手に朝食の席につく状況にたいする彼の非難と、現代のわれわれが新聞のみならずテレビ経由で日々吸収する多くの恐怖が感性を麻痺させる状況にたいする現代の批判とのあいだに、なんら差を生むものではない。

 新しいテクノロジーは絶え間ない供給をもたらす。見る時間の許すかぎり、多くの悲惨と残虐の映像を提供する。 〜