うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

素敵な夕焼けと、懐かしい写真と、お盆のうたたねと、【ある面で私たちの反応の多くが無意識的であるため、私たちはつねに投影されてきたものをコンテインするのではなく、行動化してしまう危険がある。】

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  先日、素敵な夕焼けを見たので(笑)、無意識に写真を撮っていました。最近、空がきれいですね!

 

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 浜松の水島さんから、懐かしい写真が送られてきました!水島さんの自立生活10周年の時の演奏の写真です!またそれから、7年くらい経とうとしています。

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 うたたねのお盆は、帰宅されない方やショートの方々と3日間の夕食は、皆さんの意見を聞いて、好きなお店に行くことになっています。昨日は、男子希望のアプレシオだったようです!男子は大好きですね!今日はどちらに行くのでしょうか?

 

 

 引用は、シュタイナーですが、今読ませて頂いている皆藤先生の本に、抱える器という言葉が出て来ます。ビオンがいうコンテインでしょうか?受け止める方がきちんとしていないと、投影も出来ないし、もしすれば、受け止める方が逆に無意識下で行動化してしまうかもしれないので、余計に危険ですね!きちんと教育や実践を受けていてもそうなる可能性があるので、全く勉強する気のない支援者ならなおさらですね。一番重要なのは現場であることを、なんとか世に知らしめたいですね!現場をあまり見ていない奴ほど(相談支援も含めw)、偉そうにしている現実を変えるには、現場の支援者がもっと勉強する必要を感じますし、一流の講師による一流の研修会が年に何回か出来れば、とも思いますし。介護福祉士にも、障がいをお持ちの方に特化した介護福祉士というのもあっても良いし、施設は勿論のこと、病院にもそういう人材を配置する必要性も感じる今日この頃です!!!

 

 

内在化された対象関係を演ずること
 ~ある面で私たちの反応の多くが無意識的であるため、私たちはつねに投影されてきたものをコンテインするのではなく、行動化してしまう危険がある。

 フロイト(1911a)は、思考と行動の間に与える根本的な相違についての考えに基づいて、ある種の行動化は「こころに蓄積した刺激の重荷をおろす」目的でなされる、と述べた。これは今日、私たちが〈排出性の投影同一視evacuative projective identification〉と呼ぶものと近いもので、「刺激の蓄積」をコンテインできないとき、患者と分析家の双方がこのようなメカニズムに頼ってしまう、ということがわかってきている。

 分析的態度とは、分析家が自分自身への投影を受け入れることを許容し、可能な限り行動を控える態度と考えることができる(Segal,H.1964)。その代わりに、分析家は行動を〈考えられるものthrough〉に置きかえようとする。そして患者から伝えられているものが何か理解できたとき、その考えを解釈として言語化することができる(Bion,W.R.1962)。

 もし分析家が耐えるのが難しい投影の受け手となっているときには、自分自身内部に積み上がる「刺激の蓄積」について考えるのは困難であるかもしれない。こうしてさまざまな程度でコンテイメントは失敗し、分析家による部分的な行動化が生じる。