うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

夏のお客さんと、昨日の続きと、【悼み悲しむ作業を非常に苦痛なものにするものこそ、この〈現実の審判〉である。こころの変化を確かなものにするために、このプロセスが繰り返しワークスルーされなければならない。】

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 今朝、キリギリスがいました。そういえば夏でしたね(笑)。

バタバタした毎日(笑)。一瞬人間らしい生活ができるのは(笑)6月の後半くらいでしょうか?まあ、忙しいうちが華ですね!

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  久しぶりに喘息が出て、吸入薬を再開しました(笑)。そんなに酷くはないので、予防ですね。

 

  下記は、昨日の続きです。本当にステキな取り組みですね!自分たちも京都にいる時には、伝統と新しい技術を取り入れようとしましたが、結局、市の伝統産業課の方の頭について行けずに、挫折してしまいました。職人をまとめられるか!と嘯いておられた方もいましたが、今となっては後の祭りですね。柄が盗まれるとか.......。盗まれたらまた新しいことを考えていくのが、クリエイターの仕事だと思っていますが、そんな方々は、クリエイターには結局なれなかったのですね........。一人では何も出来ないという事を誰も分かっていないかもしれませんね........。

 

 

 何か毎日同じことばかり(笑)書いているようにも思えますが、毎日同じようなことをしているから忘れないのであって(笑)、自分だけか?少しずつは深く入っていっているように思います。それこそワークスルーかもしれませんね?理解を確かなものにするために!ですね。

 

 ~フロイトは「失われた対象へのリビドーの固着を示す記憶や期待する状況のひとつひとつが、もはや対象が存在しない、という現実の審判に出会っていく」(p.255)と記している。悼み悲しむ作業を非常に苦痛なものにするものこそ、この〈現実の審判〉である。こころの変化を確かなものにするために、このプロセスが繰り返しワークスルーされなければならない。

 このプロセスが最も明らかになるのは、悼み悲しむプロセスが現実の喪失に引き続くときであるが、フロイトは、軽蔑や失望が生じ、これにより対象の愛情が失われたと感じられるときにも、本質的に同じプロセスが進行している、と理解した。

 これが機に対象への喪失についで万能感の喪失が生じる万能感により、それまでは対象が失われることはないと保証されている、と感じていたのである。