うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

潮干狩りと、散歩と、【過度の羨望は、この特定の発達段階をとても難しくするが、誰もがこの老年の段階に到達しなければならない。】

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 金曜日の散歩時、初立池を2周して時間があったので、帰り道に白谷も散歩したら、今日で潮干狩りが終わるとありました。自分が何も出来ていない状況で(笑)、どんどん時間が過ぎて行くのに、本当に焦って来ました......。

 

 昨日、今日とシフトでは休みですが昨日も日ごろで来ていない自分のことをやって、給与明細を現場に持って行ったついでに、3名入浴介助をさせて頂いたら、一日が終わってしまいました.......。

 

 そんな中でも、読書と、ギターと、ストレッチは意地でも(笑)やりました!

 

 本は、オグデンに入りましたが、今度、堺市の白柳先生に体を見ていただけることになったので、母親に泊めてもらうことにして、ゆっくりもしていられませんが、楽しみにしています。白柳先生の本も読み直させて頂いていますが、専門的なので、完全に理解するには相当な時間がかかりそうです。近鉄で行こうと思っているので、電車の中で必死に読ませて頂きます。

 

 下記は、岐阜の友人が先日メールに書いていた、最近は自分を赦すことが出来るようになった。と言う言葉を思い出しました。それは単なる諦めではなく、前進されたのだと思い、自分にはそういう考えが思い浮かばなかったことを恥じました。それが下記でいう、適切な諦めでしょうか?

 

 折り合いという言葉は、神田橋先生が良く使われる言葉ですね。白柳先生を知ったのは、神田橋先生との対談『いのちはモビール』だったので、それも何かの縁なのでしょうか?

 

 下記は、これからの自分の仕事でもあります。次世代の地頭のある方々に自分が今まで得てきたことを伝えたいと思い、それを言葉にできるように、精神分析関係の本を読むようになりました。

 

 IQとかEQとかも大事ですが、これからのリーダー像には、地頭というのが一番大事なのかもしれません。自分の中で、地頭が本当にいいなと感じたのは、田中角栄さんと、藤木正三先生でした。人のことを本当に思える方だったと思っています。

 藤木先生は、20歳前の何の教養も素質もない自分に、祈祷会が終わった後、藤木先生には何のメリットもない、自分のくだらない悩みや愚痴を、受容ではなく厳しく諌めて下さりました。それも先生の大事な時間を1~2時間も使って、しかも毎週水曜日......。亡くなられる直前までくだらない手紙の返信までして下さって......。自分も藤木先生から頂いた沢山のことを、自分の周囲の方々に伝える事ができればと、まだまだ藤木先生の様な人間には程遠いですが、諦めずにやっていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

  しかし、個人のレベルでは、羨望とそこそこの程度に折り合いを附けれられていない人びとは新しい成長のステップを上がるたびにさまざまな困難を経験するし、このことはとくに年老いてゆくことについて当てはまる。適切なあきらめ、とでも言うべき心的状態を保って年老いてゆくことは、若い世代が自分はもうもてないもの、知識、才能、未来をもつのを許すことである。それはまた、次の世代に道を譲ることでもあり彼らの成功に同一化し彼らの成功を喜ぶことであり、また自分には達成できなかったことを悔やみ達成できたことを喜ぶことである。過度の羨望は、この特定の発達段階をとても難しくするが、誰もがこの老年の段階に到達しなければならない。