今年のイースターは、4月21日でもう終わっていますが、アレクサンダー・テクニークの会場に、素敵な作品がありました。
先月は先生が、体調不良でちゅうしになり、このひと月は首の張りが酷く、毎月1回行かせて頂いているのは、本当に意味があったんだと、改めて思いました。
その後も用事があり、本当はゆっくりと、自分では買えないギターの(笑)試奏を名古屋の楽器店でしたかったのですが、慌てて戻りました。
下記は、障がいの有無は関係がないことだと思います。でも、この辺りをワークスルーしないことには、何も進展しないし、何も残せません。人の考えたことをまるで自分が考えたことにするような方々も、下記の様な状態になっているのかも知れませんね。毎日毎日、何事にも真摯に向き合い続けていかないと、本当に一つの事を理解し、活用して行くことはできないと思われます。
~過度の羨望を避ける方法の1つは、羨望をかき立てる人物を理想化することである。ある人物を、非常に美しいとかたいへんな能力の持ち主だとかあまりにすばらしい業績を挙げたなどと見なすことによって、その人と自分との差をあまりに大きくして比較の対象外にするのである。こうして羨望をかき立てる可能性のある人を話しにならないくらい祭り上げる。これは分析においてしばしば見られる現象である。患者は分析家を非常によい、愛され、価値がある存在にしておかねばならず、患者ー分析家関係を全てたいへん良好なものにしておかねばならず、批判的など決して許されない。この現象は一部の病的な患者には大きな問題になる。彼らは、もし羨望や批判的な気持ちが生じたらどうなるだろう、そんな感情をとても抱えてはいれない、と怯えているかのように理想化の状態にしがみつく。この状況は、若いもしくは経験の浅い分析家には対処するのがとても難しい。自分自身のことを本当に良く知的で生き生きした分析家だと信じておくほうがよほど気持ちがいいし居心地がよいからだ。ばかだとか不器用だとか鈍感だとかそのようなことは、誰か他の分析家のこととして聞く方がずっと快よい。このようにして患者も分析家も真の問題をうまく分裂排除したままにしてしまう。~