あ~あっと、【心的または身体的な危機状態をぎりぎりまで推し進める生き方である。】
りょうちゃんがまた......。右下を直しても直ぐに違う所に......。
夜中にやってしまったようで(笑)、夜勤さんから、聞きました.......。
今日も、早番・遅番でしたが(笑)、さすがに少し疲れました(笑)。今やっと明日のアトリエ・カーグと、バンドの機材など載せ込みました。明日も早いので早めに寝ます!
本は、朝と昼食時、夕食時に読みましたが、繰り返し、繰り返し読まないと頭に入らないので(笑)、時間が掛っています。アップはまだ、ベティ・ジョセフです。
自分の中の下記は、どこにあるのでしょうか?それが分かれば生き辛さが軽減されそうですね!現場でもそれを探究?追究?すれば皆さんも生き辛さが軽減されるかもしれません。
『しかしその一方で、生と正気への引力がどこにあるかを考えることも大切である。』
下記には、精神分析家とあるので、支援者がその役割を担えたらいいですね!
~本章とこの導入部分において私は、死の本能がもつ引力、つまり瀕死状態がもつ引力について述べてきた。それは本質的に、自分自身のことを葛藤のなかで身動きがとれず助けは得られないと見なすことであり、心的または身体的な危機状態をぎりぎりまで推し進める生き方である。しかしその一方で、生と正気への引力がどこにあるかを考えることも大切である。私は、患者のその部分は分析家の中に位置づけられていると信じている。そしてそれが一因となって、患者は極端な受動性と分析の進展への無関心さを見せる。~